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石原慎太郎×中森明夫「芥川賞と私のパラドクシカルな関係」

出典:『文學界』2014年3月号
評価:★★★☆☆

このブログでは小説しか扱ってこなかったんですが今回芥川賞・直木賞がともに第150回を迎えておめでたいということで例外的に対談をとりあげます。文芸誌の対談といっても、数十年前みたいに対談者たちが一触即発になったり、互いの立場をかたくなに譲らず侃侃諤々になったりするおもしろ対談は今やほとんど見かけません。変わって目に付く対談といえば、連載終了で新刊本を出した著者同士が気持ち悪い褒め合いをするとか、あるいは新たに受賞した書き手の人物紹介&オメデトウ対談みたいなものだったりで、ほとんど読むべき内容と価値がありません。そんななかで販促活動とは関係ない対談がこうして掲載されれば面白くなるに違いない。もっとも、中森×石原対談に僕が付け加えるところは特になく(対談そのものが十分面白い)、興味のある方はご覧になってみてくださいという紹介の意味合いで以下、取り上げるわけですが。

各所で語られているように芥川賞はもとから世間一般の耳目を集めるような賞ではなくて、石原慎太郎「太陽の季節」の受賞を境目にマスコミに注目されるような賞となった歴史があります。また石原慎太郎自身が長きにわたり芥川賞の選考委員(ちなみに銓衡の字をやめたのはいつごろからでしょうか、2014年3月号『文學界』紙面でも「選考」になってるのでこれは文藝春秋公認の表記なんでしょうね)を務めていたこともあってその周辺のこぼれ話が満載。もっとも芥川賞ウォッチャーのような人や文学史に詳しい人にとっては当たり前の話ばかりなのかもしれません。とはいえ文学賞にほぼ興味のない、かつ半可通の僕にとってはわりに面白い対談でした。

以下、面白かったところ、なるほどなあと感心したところを抜書きしておきます。

石原 (前略──引用者)ただ、僕がしみじみ思うのはね、日本の社会ってのは、著名な政治家がいい小説を書くことを許さないね。そういう点で非常に不寛容というか、料簡の狭い社会だと思いますね。僕は本名で政治家をやってるし、小説を書くときにペンネームで出るつもりもなかった。けれど、ある時非常に密度の濃い作品集を出したんだが、たまたま金丸問題があって、同じ自民党ということでまったく一顧も与えられなかった。一行も書評が出なかったな。世の中ってこういうものだなと思ったね。(pp.408-9)

たしかに作家でかつ政治家という人は石原慎太郎くらいしかぱっと思いつきません。新書類なら幹事長、大臣クラス以上の経験者の名前で出ているものがあるにせよ、それらはゴーストライターが代筆してるんでしょうしね。ただ石原慎太郎のいうように日本の社会が不寛容だから政治家は小説を書かないというよりは、政治家になりたがる、かつなれるポジションにいる人はそもそも小説を書こうなんて思わない気がします(笑)。小説を書く政治家が出てくれば出版不況も少しは……いや、あんまかわらないか。

中森 石原さんは芥川賞を取って有名になったと思われていますが、それまではすごく地味な賞だったそうですね。
石原 それはとても面白い関係で、パラドクシカルなものでね。つまり、それまで文学、小説ってのは、非社会的な人間の手立てでしかなかった。象徴的なのは『人間失格』の太宰治で、物書きはそういう偏見で見られていたと思うんです。芥川賞ってのにどれだけの権威があったのか知らないけど、とにかく「太陽の季節」が取ったってことで、小説そのものが社会的にクオリファイされたんですね。不遜な言い方をすると、俺のおかげで芥川賞は有名になったんだ(笑)。(p.410)

パラドクシカル(笑)。クオリファイ(笑)。

石原 (前略──引用者)青春のピュリティだけが浮き上がってきたんだな。(p.410)

ピュリティ(笑)。いや、英語にいちいち反応しているときりがないのですが、面白いものは面白い。対談のタイトルに「パラドクシカル」の一節を引いているように編集部もたぶん慎太郎いじりしたくてしょうがないのだろうと推測します。にしても石原慎太郎の話の中にちょいちょい英語が混じってくるのは何なんでしょうね。旧制高校生へのリスペクトがあるならドイツ語になるんだろうけれどそれともまた違う感じ。

また、三島由紀夫について。

石原 最後のほうはちょっとあの人おかしかったけど、最初の対談は、出来が悪いゼミナリステンに教授が付き合ってくれているようなものでした。こっちのほうは、なんかちょっと忌々しいぐらい幼稚なんだ。
 ただ、三島さんが、一九六〇年に筑摩書房から出た僕の選集に書いてくれた評論は、すごくいいんです。そこで三島さんは、石原が初めて知的なものに対する侮蔑の時代をひらいた、と言っているの。戦前はその知的なるものを侮蔑したのは軍人だったけれども、初めて作家が既存の文壇にその侮蔑を突きつけ、文学に知性の内乱が起こった、と。あの人は僕が政治家になるのを、その時すでに予感していたんじゃないかなって気がするんです。このまえ、久しぶりにあれを自分の書庫で読み返したら、なんかとても懐かしくて、嬉しくて、涙が出たな。この人、本当に俺のことわかってくれていたんだなあと思えて。(p.412)

三島の解釈も分かりやすいといえばわかりやすい、分かりやすすぎるのでもうちょっとうがった見方をしてみると、石原慎太郎が侮蔑を示したのは「知的なもの」そのものではなくて、「知的なものに対する憧れ」ではなかったか。

芥川賞選考会について。

中森 侃々諤々やるんですか、選考会は。
石原 やりますね。まあ、飯食って、酒飲みながらやるんだけどもね。僕は、候補者たちに陪席させて、俺たちの議論を聞かせたらどうだって言ったことがあるけど、そうはいかないっていうんですよ。そのほうが彼らのためになると思うけどね。(p.414)

いやー、これをぜひ実現したあと退任していただきたかった。「そうはいかない」と反対した小心者は誰でしょうか。もしニコニコ生放送で実況中継されるならブラウザの覗き窓から俗物根性に輝く眼で窃視したいもんですが、そうなんでもかんでも公開してしまうと失われてしまうものもあるはずなので、間をとってせめて候補者さんたちの陪席は実現してほしかったよ、慎太郎!

皇室について。

石原 いや、皇室にはあまり興味ないね。僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときはね、僕は自分の文句で歌うんです。「わがひのもとは」って歌うの。みんなちょっと、振り返るんだけどね。(p.417)

ネトウヨ発狂wwwww、はしないとしてもこれは意外でした。橋本大阪市長とは意見一致してなさげな感じですね。まあ大阪のことには興味ないのでどうでもいいですが。僕の中の週刊誌的な興味が刺激された発言でした。

墓碑銘について。

中森 僕は解説に、「石原愼太郎の墓碑銘」というタイトルをつけました。村上春樹さんは、自分の墓碑銘は「ランナー」にしてほしいと書かれています。「作家(そしてランナー)/少なくとも最後まで歩かなかった」って。石原さんなら、何と書かれますか。
石原 「ユリシーズ」。
中森 わあ、かっこいいですね。ところで、村上春樹なんて読まれますか。(p.419)

このくだりが僕にとって一番印象深いやりとりです。村上春樹の、もう村上春樹的としか言えない墓碑銘の紹介の後、石原慎太郎が自らの墓碑銘にこともあろうに「ユリシーズ」と言い放ち、それを受けて中森明夫は「わあ、かっこいいですね(棒)。ところで、」と速攻で話題を転換するという(笑)。ぜんぜんかっこいいっておもってないだろ、中森明夫(笑)!

僕にとって面白かったところ、感心したところを抜き出してきましたがもちろんこれはごく一部です。100人読めば100通りに石原慎太郎と芥川賞の歴史が読み取れることだと思います。人間、石原慎太郎、81歳。やんちゃなオデュッセウスとして、湘南の海をスタートし創作活動と政治活動で日本列島全体どころか、その端っこの尖閣諸島までを巻き込んで最後は再び湘南の海に帰還する……かどうかは知りませんがとにかく、生涯かけて壮大な冒険叙事詩をみごと完結させてほしいと思います。

(追記)政治家かつ小説家として、野坂昭如先生がいたじゃないですか!!!
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