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南木佳士「先生のあさがお」

出典:『文學界』2010年3月号
評価:★★★☆☆

長野の勤務医が、以前交流のあった「先生」からもらったというあさがおの種を、夫婦で育てる話。あさがおの成長とともに、昔の記憶がよみがえったり他人からきいた話が語られたり、意図してかせずか語りの仕掛けがいくつもあって読み物として楽しめました。エピソードの一つひとつはとても具体性があって、この書き手じゃないと書けないだろうなというような内容(カンボジア難民救援団での経験とか、東京帝大出身の医者が長野にやって来たときの出来事とか)。

発話を「」(カギ括弧)でくくることなく、前後一行あけて段落サゲで埋め込んでいます。地の文となんとなく地続きなようでそうでないようで、すくなくとも「」でカッキリと発話と地の文とを分けちゃうよりは、読んでる最中はそこの区別はあいまいでした。このあいまいさが、語り手の記憶のあやふやさとうまくマッチしているように思います。冒頭であさがおの種を手渡してくる女性のどことなく希薄な存在感に、この発話の処理はうまくはまっているなと思えました。幽霊話や幻想譚を書くときには、「」使わないほうが雰囲気だせそうですね。

まあ、この処理がわざとなのかそれとも南木の他作品にもいえる単なる書き手の癖なのかは、他作品読んでみないことには何ともですが。

書き手の経歴からすると、私小説と括ってもいいだろうこの作品。三木卓「K」を読んだときのような、単なる他人の夫婦のやり取りをべたーっと読んでうんざりという読後感をこの作品にもつことがなかったのは、適度な分量(100枚程度)と、先述の内容と形式にみてとれる「曖昧さ」の演出があるからでしょうか。やっぱ知らない書き手の作品を読むときには、一工夫ないと読めないなあ。

あとどうでもいいけれども、お葬式にモツレク流す「先生」ってところは想像するとにやけてしまいました。私小説として僕はうけとったのでこの部分ももとになるネタが実際にあったのだろうけれど、お葬式にモツレク、とくにディエス・イレなんかかかると逆に盛りあがってしまうんじゃないかな(笑)

先生のお葬式の日も雪が降っていた。セレモニーセンターのなかにはモーツァルトのレクイエムが流れていた。こんな曲が似合うお葬式は先生のしかないって思った。あたしが思いつくどんなひとのお葬式も、レクイエムが流れていたらしらけてしまいそうな気がする。(p.134)


参考:Requiem K.626 - 3. Dies irae - W. A. Mozart
指揮はベーム。コーラスはウィーン国立歌劇合唱団。
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