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小祝百々子「卵割」

出典:『文學界』2013年5月号
評価:★★★☆☆

人の生と死を、「食べること」を通じて描き出す作品です。大きなテーマであるし、数えきれないほどの作品が挑戦してきたテーマでもあろうし、なかなか新しいところは出しにくいのかもなあと読みながら思いました。アル中気味の祖父にひきとられて育った女性の円が、料理をつくったり食べたりするなかで、いろいろな記憶が引き出されます。読後、作品総体として圧倒される感覚はなかったですが、要所要所の描写はレベルが高いなと思わされました。何が足りないというわけではないのだけれど、テーマが使い古されたものなのでいまさら独自性を出せるものでもないのだろうなあ。それでも小祝百々子がぜひとも書きたかったテーマなのかもしれません。

光る描写でいえば、目の前の食べ物や飲み物を触媒にして、過去の記憶が重なる場面の描き方。これが出色です。まあ、これだって紅茶にマドレーヌ浸して幼少時代が思い返される大作が既にあるわけなので、古臭いといえば古臭いのですが。

好恵がサイダーを出してくれた。グラスの底から昇った泡が次々にはじけて、てのひらに振動が伝わってくる。逆さの雨が降るようだと思い、雨の夜さまよっていた好恵の姿を思い出した。舌の上に枇杷と雨の匂いが広がって、喉がつかえた。飲めない喉の狭さを思って後ろめたさに焦りながら、卵と蛇の話をした。(p.178)

級友の家で出してもらったサイダーをきっかけに、記憶がよみがえります。サイダーの泡が弾ける音や振動のかすかさが、前に見た情景や嗅いだ匂いを思い起こさせる。ここには、味覚、触覚、嗅覚、視覚、聴覚が無理なく鮮やかに繋ぎ合わされ、過去の記憶をよみがえらせます。たったこれだけの一文で、こんなうまい表現ができるだけでも力のある書き手だとわかりますね。

あとはハンバーグをつくる場面。これも本作では一つのキーです。

挽肉を手にするなり笑顔が消えていくのが自分でもわかる。牛と豚の合い挽き肉をボウルに出してほかの材料と混ぜる。挽肉を見るといつも、死してのち我が身に起きることなど予想できないものだと思う。牛と豚もまさか、死後こまかく刻まれて他者の肉と混ぜられるなどとは思ってもみなかったことだろう。(中略―引用者)ハート型がいいという夏実の要望に従って、心臓を失った家畜の肉をハートにする。火を入れると油がこまかくはじけ飛んであまい匂いがしてくる。この匂いを牛たちは知らない。自分の匂いだというのに。牛たちの母も知らない。わが子の匂いだというのに。(p.166)

女性が料理をするときにこんなことを考えているのかどうか僕は聞いたことないですが、料理される素材の来歴や気持ちを想像するのも、これはこれで面白く読めました。わざとらしいっちゃわざとらしいんですが。こんな風に思いながら料理したハンバーグは、このあと「味わって食べ」られることになりますが、僕ならおいしくは食べられないなあ。というか残してしまいそうです。

正統派といえば正統派だし、古臭いといえば古臭いし、何とも言えない作品でした。まあ、掲載媒体の編集方針とか読者層にはとてもぴったりだと思います。力がある書き手なので、どんな作品出も書けちゃいそうなきがします。ぜひ、他の作風の作品も読んでみたいと思いました。
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