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西村賢太「跼蹐の門」

出典:『文學界』2013年5月号
評価:★★★☆☆

下で取り上げた小祝百々子の作品にしろ他の多くの書き手の作品にしろ、新しく書かれた作品には似たようなテーマやジャンルの作品とくらべてその作品のどこが新しいか、どこに独自性があるかに着目してしまいますが、この人の作品を読むときは、別に新しいものを期待しません。北町貫多のいかにもなダメっぷりを書き手と一緒になって笑うという、寄席にふらっと立ち寄って古典落語を聞いていくような、「いつものアレ」を期待しています。これはこれで西村賢太の一つの芸であって、「常に新しいものを書かねばならない!」と自分自身を追い立てる意識の高い他作家とくらべて、なんだかずるい気もします(笑)。

今回は、「北町貫多、一人暮らしを始める」。実家を出、三畳一間の部屋で寝起きすることに決めた北町貫多が、母親に借金し、姉にも金を無心して、残金に気兼ねしながらも飲み代に使ってしまうという話。途中、街娼を観察するところなんかは、いかにも初心な感じが出ていて面白く読まされました。

で、何やら嗜虐慾すら疼かせつつ、どこか喜び勇んで突き進んでいった、かの上野寄りのラブホテル街は、その辻々に、貫多の期待を裏切らぬ粒揃いの糞袋が立ち並んでいた。(p.17)

街娼を糞袋って(笑)。はじめて聞いたあまりにもひどいことばなので、「このことばは西村賢太の造語だろう」と思いつつも、「念のため一応」と半信半疑で辞書を引いてみると、ちゃんとこのことばの意味が掲載されていました。

くそ-ぶくろ 【糞袋・糞嚢】 胃・腸などの古称。転じて、からだ・人間のこと

あるんですね!こういう酷いもの言いも、西村賢太ならではの正直さがあればこそ、できるものなのかもしれません。最悪、「いやフィクションですから」で済んじゃいますしこれもずるい(笑)。

もう一点。西村作品をたくさん読み込んだわけじゃないので今の段階ではまだ一般化はできないのだろうけれど、かなり「ルーツ」に対する書き手のこだわりが、作品のそこここで浮上してくることに気づきました。とくに、人の性質を形容するときに「根が○○なので」といういい方で、人の生まれに説明要因を求める考え方がとられます。有名になったいまでこそ、西村賢太の家庭のこともだいぶ知れていますが、書き手のどこか深いところではやっぱり、自分自身の根っこにたいする複雑な思いがあるのかもしれません。そういう思いが、北町貫多のありさまをを笑い飛ばすときに、「根が○○なので」といういい方で定型句として頻出します。

根が自身の苦痛に不思議なくらい弱くできてる貫多は(p.11)

いったいに、根が何事につけ想像力に乏しくできてる貫多は(p.11)

如何せん根が偏屈にできてる彼は(p.12)

あるいは「豚の鮮血」(『文學界』2012年11月号)から

多汗症のくせして根がデオドラント志向にできてる彼は、いったいに汗をかく行為が大嫌いなのである。(p.15)

彼は、根が人数倍のスタイリスト気質にもできているのである。(p.15)

とあります。駄目なところ、愚かなところ、虚栄心のあるところを描くのは私小説のお家芸ですが、その原因として「根」を持ってくることで、自虐の笑いに転化しながらうけいれるところに、西村賢太の芸の特徴を見てとることができるのかもしれません。「根っこだからしょうがないんだよ」とでも言いたげですし、生まれつき、変更不可能であると語ることによって書き手自身が納得しているところもあるような気がします。他作品も改めて読み直してみても面白いかもしれません。
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