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川崎徹「ヨシダ」

出典:『群像』2013年5月号
評価:★★☆☆☆

小説と猫というとりあわせは、誰もが漱石の『猫』を思いうかべるのはいわずもがなとして、少し前に放映されたアメトークの読書大好き芸人のなかで、オードリーの若林くんが「純文学好きで猫飼ってたら別れ際こじれる」という読書あるあるが妙に心に残っています(笑)。こんな人にじっさい一度も出会ったことないですけれど、言われてみれば妙に説得されてしまう、読書あるあるです。

さて、本作も小説と猫というとりあわせの作品。犬にかまれて死につつある今わの際の猫が、自分の生まれや触れあってきた人間・動物たち、育った土地での出来事をふりかえる話。事切れてからも振り返りは続く不思議な語りです。漱石の『猫』だと、世界観が人間中心主義から猫中心主義に顛倒されたときの倒錯感に、批評と滑稽が共存する奇跡みたいな作品で、あれこそ猫に憑依して作家が語る意味のある形式と内容とが一致したお手本ですが、それにくらべて本作は、猫視点といいつつも妙に人間臭さがのこる観点から回想が語られていて、あまりその語りの形式に必然性が感じられませんでした。

ただ、語りは非常にうまいです。けっこう長い文章でもストレスを感じさせずことばを継いで、所々にきかされる体言止めも語りのリズムをうまく調整してくれています。

親が小虫だの木の実、人の食べ残し、生ゴミの袋を破って手に入れた食材の刻みかすをくわえて戻るのをヨシダは巣から身をのり出して待ち、親はその赤い未熟な嘴に嘴を差し入れ青汁をしたたらせ身をくねらす原虫の小虫、乾からびたミミズを放り込み、わたしは毛長種の血をひく母の毛むくじゃらの柔らかい胸に口を押しつけ一心不乱に乳を吸い、あたしが出掛けている間に勝手に出歩いてはならない、左右を見ずに道を渡り車にはねられでもしたら、ああ考えただけでも恐ろしい、考えなければよかった、だから何があってもあたしの留守中に出歩いてはいけないと命じた言いつけを守り兄弟身を寄せ合って親の帰りを待ち、針金ハンガーと枯枝枯草を巧みに組合わせた巣でヨシダは風に乗って縦横無尽に空を飛ぶ夢を見、土の窪みにたまった雨水を飲む母を真似てわたしも鼻先を突っ込んで喉の渇きをいやし、口に入れて良いもの悪いものの区別、たとえばいやな臭いを放つものはどんなに見た目がおいしそうでも、死ぬほど空腹でも、絶対口にしてはならない。食べ物に○×と書いてあるのなら安心だがそんな親切はどこの誰もしてくれないから、口に入れて良い悪いの判断は自分でつけなければならないこと等をそれぞれの親から教え込まれていた頃からのつき合いの顔見知りの知らせだったから、間違いはなかった。(p.122)

語りのテンポはほんとうにすばらしくて、書き写している間も指が踊るようです。ただ、猫の視点とはいいながら、「横断歩道を渡る前には左右を確認する」だとか「食べ物が食べられるかどうかに○×が書いてあればいい」だとか「親に教えをうける」だとか、もう人間の子供と変わらないほど人間に近い猫で、読んでいて語りの内容にはほとんどなんの意外性もありません。

この作品で川崎徹は何を読ませたかったのかいまいち摑みきれませんでした。もしかして、小説と猫というとだれもが漱石の『猫』を期待するという延長線上に「きっとこの作品にもなにか仕掛けがあるに違いない」という予想がでてくることを見越して、「そんなの別に何にもないですよ」という予想を外す作品を書きたかったのでしょうか。だとすると外したのは外したのだけれど、外す方向が全く面白くありません。

それとも書き手が単なる猫好きなだけでしょうか。僕は、実際の猫に特に思い入れがないですので、この作品にふれたところで「猫文学は無条件に肯定しちゃう!」というような愛猫小説読みの反応とは無縁の醒めた見方しかできないです。いずれにしろ本作の語りはうまいと思うものの、内容にはなんの新しさも面白さも感じられませんでした。
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