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飴屋法水・朝吹真理子「いりくちでくち」

出典:『新潮』2013年6月号
評価:★★★☆☆

目次では二人のクレジットで「共同創作」とあり「九州の半島に滞在した演出家と作家の体験とヴィジョン。土地に遺された記憶、人々の声。言葉による未知の「ツアー」に読者を誘う」と説明が続きます。本作品を読めば、数葉の写真が時折はさまれ、「Scene○○」と題された断章がぼつぼつと続く形式で、これを小説と呼ぶには座りがわるいし、かといって紀行文でもなければ、シーンによっては詩でもあり、無理やりジャンルに当てはめてもあまり意味が無さそうです。この「よくわからなさ」が一見、作品のとっつきにくさになっているともいえはするけれど、書かれてある文字を読んでいくぶんには、べつにとっつきにくくはありません。それぞれのシーンに魅力的なことばづかいもあって(そうでないのもあって)、気になるところをつまみ読みしながら読みました。

作品全体で、なにか枠にはめてしまうことを拒否しているような、分かりやすいストーリーやジャンルに落とし込んでしまうような安易な態度にNOをしめしている感じです。開かれているぶん自由に読めて僕個人としては楽しかったのですが、「自由からの逃走」じゃないけれど、これだけフリーダムに「お好きにどうぞ」と作品をぽんと差し出されると、読み手によってはかえって不自由さを感じてしまうかもしれません。「この作品はこんなふうに読んでください」という縛りが好きな人もいますもんね。自由ということでいえば、なにか主人公みたいなものが活躍するわけでもなく、ヒトもモノも自然も、この世のものもあの世のものも、あらゆるものが等価に配置されています。

読み手によっては疎外感を感じてしまうでしょうね。「これは私むきの作品ではない」とか。あるいは思考停止して「何だかわからないけど好き!」と言っちゃう自分好き人間もいそう。西村賢太は口をきわめて罵倒しそう(想像)。そういう意味では、読み手の姿勢を照らし返すような、読む人の好みや態度をうつす鏡のような作品でもあります。作品じたいに「ああ読みなさい」「こう読んでください」という注文がないぶん、読み手の意識がダイレクトに反映されるかんじ。

以下気になったシーンを適当にメモ。

Scene 童謡

うみのおと さふさふ
いちめんのなみ
きのうは かわ あすはあめ
あすは はれ
いつまでも あすに ならない おてんき

Scene 山音

ノヤキ、メヲモグ、カマキリ、イネカリ、
ツメキリ、カミキリ、ユビキリ、神鳴リ、

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