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鶴川健吉「すなまわり」

出典:『文學界』2013年6月号
評価:★★★★☆

星五つにちかい星四つ。行司として相撲世界に入った「自分」が語る相撲界。デビュー作「乾燥腕」のフレーズ、「マン毛が空を舞った。/チン毛が床を滑った。」というおちゃらけたことばづかいからは想像できない真っ向勝負の小説で、とても同じ人が書いたとは思えない正統派の文体です(おもわず作者名を確認してしまいました)。冒頭からすこししてこんな感じ。

 直角に曲げたひざのすぐ下で、装束のすそを束ねて綴じて、うす黄緑のほそいひもでしばってある。だからひざから下はむきだしで、すね毛の先には飛んだ砂粒が引っついたままぶら下がる。力士が立ち上がらず、ひざは力み、じりじりと土俵を踏みしめていると、足の裏の感触が表面の砂からその下の土の固さにすり替わる。(p.114)

書き手の鶴川健吉が見てきたかのように、というかほんとうに行司を務めてきたんじゃないかと錯覚するほどに、リアルな描写です。土俵にたつ行司のすね毛に引っついたままぶらさがる砂粒を接写したかとおもうと、こんどは足裏の感触から、土俵の固さへと感覚がうつっていく。視線をわずかづつわづかづつ下に持っていく描写には、嵐の前の静けさといったらいいんでしょうか、激突前に力をためていく様が同期します。視線を文字テクストのうえでも下に下に誘導するしかけとして、「すぐ下」「下は」「下がる」「立ち上がらず」「その下の」とこれだけ短い文章のなかに「下」を連発していることからもあきらか。

また音の面からいえば「サ行」を繰り返すことで緊張のこもる静けさの演出にも成功しています。サ行をふくむ単語を、ひらがなにほどいて抜き出すと「ひざ」「すぐした」「しょうぞく」「すそ」「うす」「ほそい」「しばって」「ひざ」「した」「むきだし」「すね」「さき」「すな」「さがる」「りきし」「ふみしめ」「あし」「かんしょく」「すな」「した」「すりかわる」。またサ行の音の親戚である「じりじり」もふくめれば、足の裏と砂とかかすかなおとをたてて擦れるさままで想像できます。これだけの技術を丁寧に駆使できるこの書き手は本物です。この小説の読者のなかで行司を実際につとめたことある人なんていないでしょうが、そんな経験のない人もここを読むだけで「行司ってきっとこうなんだろうな」と思わせるリアルさと説得力で作品世界のなかに引きずり込まれます。

一人称の選択として「自分」を持ってきたのも、これしかありえないぴったりなチョイスです。私でもなく、僕でもなく、俺でもなく、「自分」。相撲の世界に魅入られて、力士になれない体格ゆえに行司となるためからだひとつで飛び込み縦社会のなかで職務を粛々と執行する人は、おのずと「自分」になっちゃうだろうなと思います。体育会系に近い感覚かもしれません。さらには、「自分」ということばにそなわる「我のなさ」というか「個別性のなさ」は、行司というしごとをこなすこの語り手のかたりをして、代々引き継がれてきた行司という職業そのものが語っているかのような語りへと、語りを開いてくれます。

もう一点。相撲の世界というと近年では、旧態依然とした世界とか、理不尽な暴力がまかり通る世界として、外の社会から一方的に断罪されています。そしてその厳しい目は、法律に基づいていたり、「一般常識」にもとづいていたりで、一定の正当性もあることから、相撲界側も従わざるをえないことになっています。なにより公益法人として税制優遇もうけていますし外の要請にこたえて体質改善していくことはなにより相撲協会側の義務でもある。当たり前の話です。それをわかったうえでしかし一方では、相撲の世界や論理を内側からかたることばが聴こえてこないこと、また外側の正しい人たちも相撲界叩きをすることで溜飲をさげるだけになってしまうことには、違和感ものこります。この小説では、そんな相撲界の世界をみる行司の目から、相撲界の内側のことばでかたられる相撲界の論理が展開されます。たとえば、外側のことばでいえば「リンチ」「私刑」「暴行」「傷害」「刑事事件相当」なんてくくれそうな先輩によるしごきも、この小説のなかでは「くらわす」という内側のことばで呼ばれています。もちろん「リンチ」……の外側からのことばは正当な見方なのですが一方的に違法性を指摘するだけではなくて、この作品で行司が内側から語る自分が「くらわされる」たびに成長していくという語りかたにも一定の正当性があると思えるのです。それを即断して「じゃあお前は体罰を肯定するのか!」という話につなげちゃうと、やはり相撲界が外側の世界のことばづかい「だけ」に回収されてしまうのですが。

相撲界どっぷりの人だと「いや、リンチとかしごきとか外の人はいうかも知れないけれど、くらわすことにも必要なのです」と内側どっぷりのことばづかいだけで「必要だから必要なんだ」といういかにも頭の悪いトートロジーで語ってしまい、結局、内と外との主張が平行線をたどってしまう気がします。あるいはやはり法律のことばによって、相撲界の人が不承不承に口を噤まされるか。しかし、今回のこの小説を読む意義があるとすれば、業界の言葉をつかいながら、その世界内の体験を、外にいる人にもリアルに追体験できるように一続きの物語として提出することに成功している、つまり、内と外をつなぐことばをこの小説が獲得していることこそが、この小説を読む意義だと思います。この小説が、安易に暴力肯定、体罰肯定をしているわけではないことは、行司見習いの人間が何人も脱走、脱落していることを書き入れていることからもわかるはずです。

鶴川健吉自身が行司として就職して相撲界で暮らし、いくつかの立ち合いも仕切ってきたんではないかと思えるほどにリアルなことばづかいと感覚の描写、的確で端正な文体には、終始うならされっぱなしでした。『文學界』新人賞は受賞作も佳作もなしで今回の6月号は残念かと思っていましたが、この作品に出会えただけでももとは取れました。未読の方はぜひ読むべし!

(追記)
とかいたところで、鶴川健吉じしんが行司出身だったのですね。どおりで。
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