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近藤勲公「夏の底」

出典:『文學界』2013年6月号
評価:★★☆☆☆

2013年6月号の『文學界』はなんといっても鶴川健吉の「すなまわり」がヒットだったので他の作品の出来は正直どうでもいいですがそれでも、さらにいい作品があるかもしれないし、1000円分のもともとりたいということもあって、他の作品にも目を通します。

本作は、岬の集落の最後の一人となった憑き物筋の老婆コウが、空き家や庭にかつて住んでいた人の生活の痕跡をみつけながら歩きまわります。終始、なにかの死骸や腐敗したもの、使われなくなったモノが描写されます。作品のほとんどをうめつくす描写が「死」にまつわるもの。この、描写オンリーの作風なら、語り手(書き手)はなるべく存在を消すほうがいいだろうなと僕は思うんですが、そしてほとんどの場所でそれは成功しているんですが、所々で語り手(書き手)の書き癖が出てしまって、他の場所で存在が消えているぶん、かえって癖が目立ってしまうことになってしまいました。で、いくつかの特定の表現が繰り返されるたびに書き手の顔を読者に意識させてしまって、作品世界に没入してたところを醒めさせられる結果に。僕はそこが勿体なあと思いました。

作品のキーワードになるような言葉であれば繰り返しも全然OKだと思うんですが、この作品の「ザ・純文学」みたいな書き方であれば、とりたててキーワードでもないことばを繰り返すのは上の理由から損ですね。昔懐かしい「同じ言葉は二度使うな」という文章作法はこういうことを避ける意味があったのか、と勝手に合点しました。

で。ちょこちょこ繰り返される言葉は「映える」「奔る」のほかに「○○の類」。この辺が、でてくるたびに「またかよ」って素に返ってしまいました。

イノシシやシカの類が人里まで出没する(p.147)

テンかイタチの類であろう(p.147)

アオダイショウの類だろうか(p.151)

ヨシやハマボウフウの類が群生する(p.152)

ベゴニアやケイトウの類(p.156)

途中までざっと見かえして適当に抜き出してもこれだけ。丁寧に最後まで拾っていけば他にもあるかもしれません。

こう書いてくると、なんだか言葉尻をとらえていちゃもんつけているような感じですね。別にそんなつもりはないんですが、ただ作品の内容からなにか印象にのこるところがあったかといわれると、それも「うーん」と首をひねってしまいます。僕にとっては、読了後、「で?」といいたくなるタイプの作品でした。
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