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木村友祐「猫の香箱を死守する党」

出典:『新潮』2013年7月号
評価:★★★☆☆

「猫の香箱」というのは下のような猫の座り方をいうのだそうです。
猫の香箱

この作品では、野良猫迷い猫が安心して暮らせる社会をめざす「猫の香箱を死守する党」をたちあげる男性の話。ここだけ読むと、猫好きの人向けの小説とうけとってしまいますが(もっともそれは間違いではないのだけれど)、それ以上に、この男性がこの党を立ち上げるに至るいきさつや人間関係なんかを読んでみれば「猫の香箱死守」をたんに党是とするだけでなく、社会変革……とはいわぬまでも社会の見方を変えようとする芽のような、より大きな視点をもった小説となっています。

作品を二つのパートにわけてみると、一つはこの四十代の男性、相楽さんの社会人としての暮らしの話。務めていた会社が倒産し現在は搬入荷物をはこぶ作業用エレベーター係として一年雇用ではたらいています。妻は正社員として勤める会社の勤めがきつく疲れきっているようす。男性として夫として、先行きに希望が見いだせずかなり苦しい状況です。また、相楽のバイト先の後輩である平野という青年は二十代ながら正規雇用の道にすすめず不安定な身分。もう一つのパートは、相楽が生活のなかで唯一安らぎを見出す猫との交流のパート。飼い猫のクロタロはじめ野良ネコにたいしてまで、かなり甘ったれたことばづかいで文字どおり猫っ可愛がりします。大の大人が猫に惑溺する姿はかなり読むに堪えません──と途中まではうんざりしながら読みました。

「はらぁ。いたのかお前は」
「はらぁ」とは自分でもよくわからないけれどもおそらく「あらぁ」の感嘆をつよめた言い方なのだろう。ふだんは口数が多いほうでないおれも猫が相手だと自然にさまざまな擬態語や感動詞を口走っている。(p.52)

「ほれほれほれぇい。う~んクロにゃん、待っていたのか。待っていたのか。お前よく留守番してたな、ん? よくいたな。これ。この猫め。ほっほう。お父さん帰ってきたよ。帰ってきたよ。ほれ。ほれ。ほれぇい」(p.54)

このうんざりすることばづかいで40半ばの男が猫にデレデレしている姿を想像するだけで虫唾が走りました、中盤までは。

しかし、この猫にむけられる愛情が、本作を読んでいくうちに「なるほど、そうかそれならわかる」と、猫にたいして好きでも嫌いでもない僕みたいな人間にも思えるようになっているため、本作は成功だといえます。そのからくりは、上で描いた二つのパートが密接に関連しています。つまり、妻とふたりでくらしながら先の展望がみえない、それでも生活を送っていかざるをえないなかで、猫への愛情は、もしふたりがもっと経済的に安定していたら、あるいは希望が持てる生活をおくれたら、ふたりのあいだに生れていただろう子供にむけられるはずだった愛情の代償となっているからです。いや、本文にそんなことは一切説明されていませんが、上の引用箇所も、猫に向けたことばでなく、夫婦の間にうまれた赤ん坊にむけられたことばととらえればすべてすっかり納得できます。

希望が抱けない、かなりしんどい生活のなかでも、動物にたいして愛情をむけたり、あるいは疲れている妻(夫、子ども)をいたわったりしてなんとか社会生活を送っている人というのは考えてみればかなり多いはずです。一方、相楽の後輩平野くんには、かれを社会(=人々の輪)につなぎとめておく存在はありません。使い捨てられ擦り切れてゆくだけの立場にたたされながら、それでもなんとかバイトをつないで生活をおくる。だからこそ、苦しさが本人の忍耐を超えてしまったときに、彼の中にそれまでたまった恨み辛みが、社会の、安寧な暮らしを得られている人々にたいする敵意に変わり、恨みを晴らす行動へと短絡してしまいます。似たような状況にある人間でも、もしだれかが平野くんの傍らにいるならば、平野くんはかなり高い確率で思いとどまることのできた人じゃないかとも想像します。職場で相楽にむけて告白する平野くんの胸の内にはかなりの程度動かされるものがありました。書き写すと長くなるのでぜひご一読を。

その意味で、社会の中にかろうじて引っ掛かりながらも、同時に平野くんのような人の立場も身をもって理解できる相楽が、最後の最後

〈子ザル捕獲。ようやく今おとなしくなった。〉
 おれはお兄ちゃんのからだにふれたままその短い書き込みをじっとにらんでいた。気を許せば「いいね!」を押そうとする自分を持てあましていた。(p.94)

と、平野くんの暴発をも承認してしまいそうになる葛藤でもって小説を閉じるのは、うまいまとめ方だと思いまいした。気を許してしまえば相楽も同じような方向に走る可能性は十分ありつつも、そうならないよう踏みとどまる。この姿はたんに猫を可愛がる幼稚な精神とは対極にある分別です。

一方で本作に不満な点をあげるならば、日本一党という右寄りの政党と、その政策を急進的に支持する護国真珠隊という人々の描き方。もちろん本作はフィクションなので、政党名なり隊名なりも作品世界内の作りごとだと思えばそれでいいのだけれど、相楽や平野くんの描き方はリアリズムでありかなり説得力もあるものなので、その一方で右よりの人を戯画化して、いかにも頭悪そうに(笑)描くというのはフェアじゃないと思えました。2013年の現在この小説を読む人はどうしても、日本一党の背後に、ここで描かれているよりも穏健とはいえ特定の政党を読み取ってしまいますし、護国真珠隊の人々にもそれに該当するグループを想定してしまいがちです。この描き方が損なのは、リアリスティックな部分からかなり浮いてしまうがゆえに、現実の特定政党などを透かしみる読者が「こんなわけないじゃん」とあきれてしまうかもしれないのが一つ。もう一つの損なところは、右よりの思想にも読むべき部分や参考になる部分はたくさんあって、その右よりの「よいところ」をまったく無視して藁人形叩きになってしまっているところ。右翼思想の読み直しというのは90年代半ば以降でしょうか、実証的なかたちでかなり進んできています。右にしろ左にしろ人を無理やり一色に分けするのはどちらも、馬鹿馬鹿しいだけです。

最後の最後によく理解できなかったところ。地の文では読点(「、」)がいっさい排除されていました。一文一文の長さは短めで読むぶんには全く負担にならなかったんですが、読点なしが何か効果をあげていたか考えてみても僕にはわかりませんでした。珍しいといえば珍しい試みながら、効果的でない(笑)という、なんだかよくわからない工夫でした。
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