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水村美苗『本格小説』

出典:水村美苗『本格小説』(新潮社・新潮文庫・2005年)
評価:★★★★★

これを読んだことないひとは損をしています、そう断言したい一冊。ぼくにとっては、年に一度か二度は読む小説で、久々に本棚から取り出して読みふけっていました。日本語でこの小説が読めることの幸せをかみしめながら、読むたびごとに新しい発見のある小説としてページをひらけばさいご、いつまでも浸っていたくなる一冊です。挑発的なタイトル、「本格小説」の名に恥じぬ堂々たるストーリーテリング。『嵐が丘』や『櫻の園』はじめ、その他あまたの小説、民話、もういろいろひっくるめてこれまで世界各地で語り継がれ、書き継がれてきた「お話」の流れがこの一冊の中で合流しています。よく悪いニュアンスを込めて「お話」ということばがつかわれますが、ここではそんな含みは全くありません。

まずもって恋愛小説であり(文庫の後ろには「超恋愛小説」とあります)、女中小説でもあり、出世譚あり、没落譚あり、復讐譚あり、幽霊がでたかとおもえば、俗っぽい色恋もあり。これだけ楽しい「お話」の要素をぎっしりと詰め込みながら、「どうです、こんなに先行作品を読んできたんですよ」といったしょうもない衒いもなければ、消化不良をおこすこともなく、とうとうと流れてきたお話の系譜に敬意と批評の眼を同時に向けて書かれていることがわかります。水村美苗の深いところにいったん吸収され濾過され蒸留された「お話」の純度のたかいエッセンスが、今回の何度目かわからない再読でもまた堪能できました。

今回なんでこの小説を取り出したかというと、先日読んだ平野啓一郎「Re: 依田氏からの依頼」(『新潮』2013年7月号)にずっと、ひっかかりを覚えていたから。ひっかかり、というのは「いろいろ仕掛けがあるのに、それをいまいち楽しめなかったのはなぜだろう」というもの。もちろん、僕が戯曲にほとんど興味や知識がないというのも大きな理由なんですけど、それにしたって工夫のあとがみられる小説なんだから、いくらなんでももう少し楽しんでよむことはできなかったのか。数日、疑問をかかえたままでしたが、そこでふと気づいたのが『本格小説』の存在。

『本格小説』の語りも入り組んでいるので、どこがどう違うのか、語りの点から比べてみることにしました。

で、結局いきついたのが「声」のあつかいなんですね。「Re: 依田氏からの依頼」の場合、語りの層がいくつか積み重ねられてはいるものの結局最後は小説家大野の編集手腕や文体の選択に、小説の「声」が収斂してしまうんですね。いくら依田氏の体験する時間が伸び縮みしようと、付添の女が自分の都合のいいように依田氏の語りを改編しようと、最後には大野の手によって、一編の小説としてそれほど矛盾のないひとつの「声」にまとめあげられてしまう。最後まで読めば分かりいいんだけど、ものたりないわけです。

対して(並べてしまうのはなんだか頓珍漢な気もしないではないんですが)、『本格小説』の場合、語りの層がいくつか積み重ねられながら、それがいくつもの「声」や視点に分かれているから。といったそばから矛盾するようなことをいえば、この『本格小説』の最初と最後は「私」となのる小説家が、加藤青年から聞いた話を小説の体裁で書いているということにはなってはいて、この点「Re: 依田氏からの依頼」と変わらないはずなんですが、『本格小説』に書かれてある内容や文体は、かなりの程度「私」の存在を消しています。

小説家大野が律儀に作品のつくりを説明、解説してくれる「Re: 依田氏からの依頼」とはちがって、その場その場で違う語り手に憑依するように、別々の「声」や視点から作品のリアリティを構成する『本格小説』は、それぞれの視点から、見えるもの、見えないもの、見ようとしていないものが分かれています。作品世界の奥行きを読者に想像させてくれる余地がある。初めて読んだとき、女中だったフミコさんの語りにまんまと乗せられたあとで、冬絵さんが「第二みどりアパート」を訪ねていったときにでてきた、下品な女の語りにうけた衝撃は、再読するとき仕掛けが分かっていても、やはり読むたびごとに衝撃を受けます(何でもかんでもネタばれすると面白くないので詳細は伏せておきます)。

このあたりが、「Re: 依田氏からの依頼」と『本格小説』とをくらべてみて感じた、語りかたの違い、そしてそこに根っこがある、おもしろさいまいちさの分水嶺。

また、『本格小説』って、これでもかとベタな要素を詰め込んで、使われることばや文体も決して凝ったものではないにもかかわらず、これだけ読者をひきつける。それはひとえに、ベタの強度にあるはずです。ベタを中途半端に無自覚に書きつけてしまう小説は、焚書にしてしまえばいいと思いますし、またベタを毛嫌いするだけしか能のない小説には書き手のドヤ顔やスノビズムしか感じられませんが、これだけ徹底して、なおかつ戦略的にベタを積み重ねてしまえば(何しろタイトルからして『本格小説』です。書き手から差し出された「分かってやってますよ」というメッセージに、読者は本を手に取った瞬間からめとられます)、こんな大傑作が誕生するわけです。ベタをベタだと認識するためには、莫大な量の小説やお話に触れて、しかもただ触れる量だけでなく、深いところに落としこんでおかねばならないという質も必要なはず。水村美苗は間違いなく、その条件をクリアしている稀有な書き手です。

 今さら弁明してもしかたのないことですが、三枝家の山荘に足を踏み入れたとき、わたしはよう子ちゃんがいないものと決めてかかっていたのです。屋根裏部屋でその姿を最後に見たのはもう十年近くも前のことでした。しかも今や物置と化した屋根裏部屋はもうゆう子ちゃん一家ですら長い間使っていなかったのです。それに加えてわたしももう五十半ばで昔の足腰の強さがありませんでした。建て増しし、やたら広くなった山荘を一階から漫然と見回り、最後に屋根裏に行く階段にかかりましたが、半分昇ったところで足を留め、廊下に面した三つの扉が閉ざされているのを眼にしただけで、そこから引き返してしまったのです。でもそれだけならあとでこうも自分を責めることはなかったでしょう。引き返そうとしたその瞬間、妙な感じがしたのです──したように思うのです。あとから記憶を塗り直してそう思うようになったのかもしれませんが、三つの閉ざされた扉が何かを語りかけているような気がしたのです。というより、あれは未だに訳がわからないのですが、幼いころのよう子ちゃんが亢奮して一人でしゃべっている声が聞こえてきたような気がしたのです。あたりは森閑としているのに一瞬幻聴があったのです。階段を一段一段降りるのにも、その幻聴を振り切るような思いで、そうっと音を立てずに降りたような記憶があります。雅之ちゃんとの寡黙な帰りの道中も、もう一度確かめに戻りたい衝動と戦っていた記憶があります。(pp.417-8)

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