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川上弘美「mundus」

出典:『新潮』2012年9月号
評価:★★☆☆☆

『新潮』同号の目次解説には、

「さまざまな人生の瞬間に、それはきらきらと光った──生と死と性が未知の輝きを放つ、新しい小説のmundus=世界へ。」(強調部は原文傍点)

とあります。通読して、ぽやややんとしたとらえどころのない印象(笑)。マジック・リアリズムのようなテイストというにはぶっとんだ出来事は起こらないし、かといってリアリズム小説かといえば、「それ」と呼ばれる謎の存在がでてきたり、定期的に洪水がおこる土地が舞台に選ばれていて神話的な要素もどこかにあり、決してそうもいえない。散文詩ではない。たとえばチュツオーラの『椰子酒飲み』が神話的思考を取り入れながらことばづかいの慣習を破天荒に覆していく抱腹絶倒の物語だったのにくらべると、この作品にも、どこともつかない世界で不思議な出来事が起こりはするところが共通とはいえ、いかにもこじんまりしているというか妙に所帯じみたところもあって地味。目次の煽り文句「新しい小説のmundus=世界」なんて、どこを指していってるんだろうと首をひねりました。

なんでもありのごった煮作品はどちらかといえば僕は好きな方ではあるんです。けれどもこの作品はその場その場の思いつきを、書き手の感性のままに書きつけていったような感じを受けました。シーンの変わり目の頭に「/」をいれている体裁も変わっていますが、これもどちらかといえば戦略的に使われているというよりは、それまでのシーンの続きが書けなくなったのでぶつ切りにして次に行っちゃえという気ままさの表現としてうけとってしまえます。

焦点の定まらない感じは文体にも出ていて、

すでに水の底に沈みつつある町の、わずかにある三階建ての家の屋根、小学校の校庭の国旗掲揚棒、そして物見櫓をぐるりと眺めた後、子供は隣町の城の天守閣を探した。その昔滅びた城だったが、本丸は朽ちてなお残り、夕刻ともなれば子供の住む町からは沈みゆく太陽の光をあびて輝く天守閣が望めたのである。(p.15、原文ママ)

なんて、それまでの「洪水がおこって水没した町」の話から急転、歴史小説になってしまいます。「夕刻」て(笑)。「沈みゆく太陽の光をあびて輝く天守閣」て(笑)。それに、「望めた」も「臨めた」の誤用でしょう。がんばれ、川上弘美とその編集者。

結局なにがなにやらわからないうちに作品は終わり、読み終わっても違和感もなにものこらないものでした。書き手のその場その場の思いつきにつきあっただけの印象。「きらきら」とか「甘苦しい」とか、もう雰囲気だけでことばをお手軽につかってしまうだらしなさ。感性ということばは、書き手の気ままさにたいする免罪符では決してないはずです。

(追記)「望む」でOKでした。望む、はてっきり願望の「望む」の意味しかないものだと早とちりしてしまいましたが、よく考えてみれば、「展望台」っていいますものね。僕の知識不足でした。川上弘美さん、すみません。
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