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純文学は今後どうなるんでしょう

ブログをはじめてほぼ一年。純文学系の雑誌から適当にチョイスした作品の感想を書いてきて、だいたい120篇ほどになりました。その間いろいろ思うことがあったので、きりのいいタイミングですし、その思うことを書いておこうと思います。

産経msn.comに、石原千秋の8月文芸時評が掲載されています。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130728/bks13072814230000-n1.htm

そのなかで、「文学賞の選評を読むと、知性のなさや教養のなさに驚かされることがある」とあって、ちょうど黒川創「暗殺者たち」の選評にたいする黒川創の批判のことを掲載しています。「暗殺者たち」は、ジャーナリスティックな記事でもできない、アカデミックな論文でもできない、小説という形式ならではの達成をした素晴らしい作品でした(僕の感想はこのブログに書いていますので繰り返しません)。この一つの達成を、選者という立場から一刀両断してしまった高村薫の選評を読んだとき、僕はつい「大逆事件のことって結構知られているのか。「暗殺者たち」を読んで感動したのは僕の単なる無知ゆえだったのか」と思ってしまいました。が、翌月号の新潮で、編集長の英断によって黒川創の声が掲載され、それを読み終えたとき、高村薫の選評になんともいいようのない憤りを感じました(町田康の選評は選考会で高村の意見に押された結果なんだろうと推測します)。

「そんなことよく知られている」「そんなこと常識だ」というのは、本当によくある他人の叩き方で、もちろんその通りのことがままあることは認めつつも、一方で、「エラい」立場の人がそうでない人を一蹴するときに使われる決まり文句でもあります。いわれた方は、リサーチ不足あるいは世間知らずと言われたことに負い目を感じて口をつぐまされてしまう。「暗殺者たち」選評をめぐる問題の場合、黒川創が条理をつくしてまっとうな声を上げているわけですから、高村薫はその声にたいして応答する義務があるでしょう(石原千秋のいうとりだ!)。「暗殺者たち」に描かれた大逆事件あるいはその関係者たちの記述が、いったいどういうよく知られた文献や定説にすでに書かれているのか。そう判断した根拠をきっちりと示すべきです。あやふやないいまわしてでそんなの常識だ」と言いっぱなしではあまりにもひどすぎる。

たとえばこの作品、丸谷才一が書いたものであったなら同じ選評だったろうか、とありえない想像をしてみました。実際、この「暗殺者たち」を読み終えてしばらくして、「サンクトペテルブルク大学で講演した日本人作家と、その講演を聞いていたロシア人女子大生が、恋仲になってベッドインしたら丸谷才一の作品だなあ」と勝手に想像したわけです。で、この作品をもし丸谷才一が書いていたとしたら、おそらく、同じ作品、同じテクストを扱っていたとしても、髙村薫(や町田康)の選評は同じものだったか。きっとそうではないでしょう。これはありえない想像にありえない想像を重ねたものなのでもう、妄想といってもいいものですが(笑)、この想像を通していいたいのは、ときに選評が、作品そのものを評価するのではなしに、単なる新人叩き、あるいは候補者叩きの道具になってしまうということです。

こんな風に、賞の選評には疑問を感じるものがままあります。

先の石原千秋の記事では、「選評とは異なるが、「群像」の「創作合評」なども往年の精彩をまったく欠いているし、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」に至ってはあまりのつまらなさに絶望的な気分になる。総じて、最近の文芸誌は批評精神を失っている。」ともありました。これも本当にそう感じます。「暗殺者たち」の翌月の「創作合評」では、「暗殺者たち」という力作はスルーして、いとうせいこう「想像ラジオ」と、前月群像の星座特集短編のなかから二篇の評。評者に片山杜秀を呼んでいるにもかかわらず「暗殺者たち」を評しないのは、編集者の能力のなさ、片山杜秀という貴重な人材の無駄遣いを露呈した創作合評でした。ほかにもいろいろ失望する企画や作品が掲載されていたので今月から『群像』は買わないことにしました。

傍目からはよくわからないルールで動いている作家たちや出版社や編集者たち(人間関係とか会社の事情とか仕事のノルマとかあるのでしょうけど)とは別に、なんのしがらみもない僕が、それでもそこからスルーされてしまったり、無視されてしまったり、たいして取り上げられなかったりする作品のすごさを、ひとりでも多くの人に伝えたい。自分の備忘録的利用以外には、そういう気持ちで書きはじめたブログです。逆に、愚にもつかないような作品や、どこが面白いかわからない駄作を、無理やりほめているような書評にも腹が立つことが多いので、僕の個人的な観点からですが、駄作だと感じたものにはそう感じた理由をふくめてちゃんと書くことにしました。自分が知らないことや、理解しきれないことがあれば、それも「僕にはわからない」と正直に書くことにしています。少なくとも知ったかはできません。

石原千秋は今の文学を取り巻く状況として、「批評精神を失っている」と言っていました。もっときついことばで丸山健二は、(といって、彼のいっている内容のすべてに賛同するわけではありませんが)、自分の名前を冠した文学賞を創設したようです。

丸山健二文学賞宣言2013
http://shinjindo.jp/contents/maruyama_award.html

安っぽいナルシシズムと安直な散文によって構成された、読み捨て用の作品を大量生産し、大量販売するという、最も安直で、最も下世話な路線を突き進むことを主たる眼目として、また、それが文学の王道であるという自分たちにとって都合のいい解釈と誤解に身を投じながら、惰性のままにだらだらとつづけてきた結果が、このザマという、あまりと言えばあまりな、当然と言えば当然の、恥ずべき答えを出すに至った。

抜粋ですが、こんな調子で現状の日本の文学を取り巻く状況に憤り、そこから文学賞をたちあげた経緯についても書かれています。「小説家になりたい!」ではなしに、「小説を書きたい!」という人はこの賞に応募してみればいいんじゃないでしょうか。プロアマ問わずで、エントリー費用5000円というのも適度なハードルだとおもいます(笑)。たとえば、氏の賞に、文壇政治(もしそんなものがまだ残っているとすればですが)にどっぷりつかったプロが覆面作家として応募してきた作品を、氏ははたして受賞させるのかどうか。妄想がふくらみます。

だれもが終末の叫びをあげている純文学界隈。駄作も多いけれど、それでも僕は小説ジャンルのなかでは一番愛着があります。僕にとって大きな影響を与えた作品も数多いジャンル。傑作に出会える確率は限りなく低くても、確率や効率云々ではなくて、一生に一度出会えるかどうかの作品に巡り逢いたいという気持ちなので、まだしばらく、完全に絶望してしまうまではこのジャンルの作品を読んでいこうと思います。いい作品を紹介したい、駄作には早く消えてもらいたいという方針で今後も「小説を読む人のための雑記帳」では純文学作品の感想を書いていきます。今後ともよろしくお願いします。
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コメント

Secret

No title

いいものが出てこない構図になっているなどと言うけれど、そんなことを言ったらエントリー費用に五千円もとる丸山健二も似たようなもので、こんな文学賞にすぐれた作品が集まるとは思えない。これは丸山健二を尊敬しているから言うのだが、こんな賞では丸山健二一人に読んでもらいたい人しか応募しない。権力のもつ力は強い。そしてそれを嫌う感情はわかる。でもこの動画を見て、果たしてどれぐらいの人たちがその趣旨に説得されるだろうか。本当の意味で作家になりたいと思っている人、たとえそれが権力だのなんだのと批判されようと、その十分予期されうる批判に耐えながら書いてきたいと思っている人、そういう人たちの心を動かすだろうか。

読む人さんのブログには本当にお世話になっている。正直言って、あなたがこうしていいものと悪いものについてのコメントを残してくれることで、それが役に立つ人はとても多いと思う。価値観が混迷している現代において、一人でも多くの人が作品を読み、これはよい、これはダメ、と切り捨てていってくれ、そしてそれをネット上に書くことで、純文学を目指す書き手が何をするべきかという導きになる。これはあなた一人の意見かもしれないという不安を、ひょっとしたらどこかで抱えているかもしれない、それでも人は決して文字を読むことをやめはしないと信じることができるのは、あなたのような存在があるからなのだ。どれほどラノベや低俗推理小説が蔓延ろうとも、優れたものを残したいという意志は不滅なのだ。この場を借りて感謝の意を示したい。

コメントありがとうございます

>丸山健二一人に読んでもらいたい人しか応募しない
ただ一人にむけて書かれたものであっても、それが多数の読者の手にわたったとき大きな感動を生むこともありますよね。

『アサッテの人』は種村季弘先生ひとりにむけた諏訪哲史のラブレターみたいなもんですし、手紙つながりでいえば、野口英世の母シカの手紙は、息子に向けて書かれたものなのに多くの人を感動させます。ただ、丸山健二を狙い撃ちした小説というのが僕にはちょっと想像できないし、面白くなさそうですが(笑)。

5000円というエントリー料も、「当たったらいいな」という懸賞感覚で小説を出すような人を最初から除いておくスクリーニングの役にはたってるんだろうと思います。

僕は無責任な読者ですので、作家が作品を書く動機がなんであれ、結果として何度も読みたくなる面白い作品がでてくればそれでいいなという考えです。権力志向だろうが、お金目的だろうが、賞目的だろうが、承認欲求を満たすためだろうが、もちろん「芸術のため」みたいな大上段にふりかぶったものだろうが。

>あなたがこうしていいものと悪いものについてのコメントを残してくれることで
僕個人の独断偏見まみれですので眉唾で読んでいただければありがたいです。僕が面白さを理解できない作品でも、友人やネット上では評判よいものもありますし、逆もしかりですし。

No title

返信ありがとう。
わかった。ぼくはあなたに向けても小説を書こう。
上手くいくかどうかはわからない。あなたを感動させられるかどうかはわからない。でも一つだけわかって欲しいのは、優れたものが生まれるのには時間がかかるということだ。あなたがぼくの作品を読んでくれることがあったとして、それに対するお礼をこのブログに記すことは多分できないだろう。そういう売名行為はぼくのポリシーに反するからだ。だからぼくは先にここに感謝の意を示しておくことにする。

No title

納得のいく作品ができるとよいですね。待ってます。
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