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青木淳悟「激越!! プロ野球県聞録」

出典:『すばる』2013年8月号
評価:★★★☆☆

青木淳悟の小説は他人にマネできませんね。この人の小説を読むと、小説の世界にハマるというより、小説を読んでいる自分の慣習とか癖とか、あるいは「小説をこう読むべき」といった制度があぶりだされます。前に「私のいない高校」の感想を書いたときに、遅れてきたアンチロマンだという言い方をしましたがその感想はこれを読んでも変わりません。もしもジョン・ケージが小説を書いたら(これもたとえが古いですが(笑))、けっこう近いものがあるかもしれません。「私のいない高校」よりはだいぶこの作品のほうが楽しめました。

「私のいない高校」と共通なところとして、小説らしくない文章を連ねるという特徴が挙げられます。「私のいない高校」では先生の業務日誌文体とでも形容したいような事務的な報告文調でした。本作も、新潟県周辺の地理を地誌や郷土史の文章からとってきたような文体、あるいは東京周辺の鉄道の様子を地図からそのまま写したような文体で延々書いていきます。これは鉄道に興味ない人間、さらに東京の地理に疎い人間には、読むのがつらい作品じゃないでしょうか。今回も主人公と呼べる人間はいないので(木枯らしもんじろう風の格好をした人物が唯一個別の人間として識別できる登場人物でした)読み手はやはり感情移入したり、生き生きしたイメージは抱きづらい。人にフォーカスするのではなく、人を取り巻く土地や、出来事を、新聞記事のように淡々と書いていく感じ。

では「私のいない高校」とくらべて本作のほうが僕には面白くおもえた理由はどこだったかというと、それは野球(用語)をメタファーやことば遊びの素材として使用しているから。野球のことばは小説の書き手を刺激するところがあるのでしょうか、たとえば高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』フィリップ・ロス『ザ・グレイト・アメリカン・ノベル』やロバート・クーヴァー『ユニバーサル野球協会』、どれも野球そのものというより野球を素材にして悪ふざけしたり、ことばの実験をしたりして、一級の作品が出来上がっています。そういう列にならべてこの「激越!!プロ野球県聞録」を読んでみたとき、話の筋や物語のつくりといったおおきな要素よりも、ディティールや、比較的短い単位の文といったちいさな要素に焦点を合わせてよんでみると、けっこう面白いところが見られました。タイトルからして、激越の越は、越後の越ですし、県聞録も、マルコポーロの「東方見聞録」をもじっています。「私のいない高校」よりも読み手を意識しているというか、サービス精神を出してくれています。

以下、面白かったところを適当に抜きだしてみます。

──数々の名勝負の舞台になった懐かしの「カワサキ球場」だが、極度に客入りの悪いスタンド風景には「テレビは見せられない」といわれた荒廃もあった。カップルが試合そっちのけで、観客四人がフェルト敷きの卓を囲んで、ある食堂楽グループが趣向をこらしスタンドの傾斜を利用して「流した」ものとは……。(p.24)

野球そっちのけの客席の描写です。すごく昭和ののどかさを感じます(作品世界の時間は2004年ごろですがこの雰囲気は昭和だ!)。最後の食堂楽グループが「流した」ものって、流しそうめんしかないだろうなと思いつつ、流しそうめんのしょぼさと、この不必要に期待をあおるようなことばづかい、とくに「……」の部分に漂う不気味な余韻はこの作品中いちばん笑いました。

JR二線、中央線快速と総武線各停は、並行する線路に停車駅数の異なる緩急の列車を走らせており、並走区間が長いこともあって乗りまちがえを犯しやすい。そして早くもこの選択の成否が、目下東京に出てきたばかりの序盤において、以後の行動に大きな影響を及ぼしかねない。最悪の場合死ぬことになる。(pp.39-40)

ここも最後の一文が効いています。電車を乗り間違える、というおのぼりさんにはありがちな日常的といっていい行動が、死につながるという馬鹿馬鹿しさ。そりゃあ、「最悪の場合」はそうなるんでしょうけれど、どうやったらそうなるのかわからない、あいだのプロセスをぶっ飛ばしたまま一気に「死」に接続された思考の飛躍に笑いが漏れました。この一文、なんにでもオチで利用できて便利ですね。「最悪の場合死ぬことになる。」

この、死ぬことになるの個所はてっきりこの場所限りのネタかとおもったのですが実はそうではなかった。新潟から出てきたと思しき人物が、電車の屋根から屋根へと飛び移る場面が出てきます。

 そいつは本物のルーキーのように若かった。そしてそれが普通では見られないファイティングスピリットだからこそ、列車間の移動で屋根を「盗む」ことに成功した暁には、何ら問題なくファンの仲間入りがかなうのである。(p.42)

と、これなら「盗む」ことに失敗すればたしかに死ぬことになりますね(笑)。野球の盗塁を「盗む」といいますが、ほかにも野球のことばはメタフォリカルに使用できるものに満ち溢れています。このへんが書き手の創作意欲を刺激するところがあるのかもしれませんね。

最初にジョン・ケージの名前をだしましたが、彼が「音をだすこと」を通して一般に流通している「音楽」とそれ以外のものという区分けを、廃棄ないしはあいまいにしたように、青木淳悟も、まっとうに「文字を書くこと」を通して「文学」の境界を攪乱しつづけてくれることだろうと思います。ただし、ジョン・ケージ作品を愛聴するひとは今ではニッチな存在ではあり、かつては興味を示した人も「とりあえず一回だけ聴いとけばいいや」という感じでその後離れていってしまいました。青木淳悟ははたしてニッチなままで満足なんでしょうか。
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