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いしいしんじ「その場小説──黄・スモウ・チェス」

出典:『新潮』2013年9月号
評価:★★★☆☆

芭蕉のことばに「文台引下ろせば即反故也」とあります。もともと俳諧連歌の詩人である彼が、発句→第二句→第三句……とつづけていく俳諧連歌において、もっとも重視したものがこのことばに述べられています。すなわち、その場に集った連歌の参加者たちが、集団でコラボレートして意表外の面白い句や、一同がうなるような妙句を即興で続けていく、そのまさに連歌がつくられていく現在進行形の時間こそ最もいとおしいものだ、そこが楽しいんだから、詠み終えられ記録された連句一巻は、もうたんなる反故にすぎない、の意です。

いしいしんじは賢いとおもうので(何の根拠もありませんが僕は勝手にそうおもう)十分わかったうえで、この小説を雑誌に発表したり本にしたりしていると思うんですが、この『新潮』2013年9月号に掲載された「その場小説──黄・スモウ・チェス」もいってみれば反故……はことばがきついから記録といいかえますが、この記録だけでは十分にその場小説の面白さは味わえないはずです。つまり十分にこの「その場小説」を味わいたいのであれば、やっぱりいしいしんじ本人が創作している現場で、場の雰囲気を共有しながら、思いがけない一文が飛び出したり、陳腐なことばが飛び出したりする起伏を、文字通りその場で体感したほうがいいんだろうなと思いました。

本作は、三つの短編というかショートショートのようなもので、どれも京都大学でおこなわれたセッションの記録。それぞれ、児童文学のようなやわらかい発想でつづられた作品で、なかでも「スモウ」を面白く読みました。

学生たちとの会合や飲み会は、まるでシルバーバックが群れの子どもゴリラたちと遊んでやっているようで、嫌ではないが、日本の十代二十代は、ほんまにゴリラでいうたら乳離れしたかしないかくらいやなあ、なんてことを思う。(p.158)

「ゴリラでいうたら」がなんとも味わい深いフレーズです。ゴリラ学者ならではで、この人は日本で暮らしている日常生活のなかで、なんでもかんでもゴリラにたとえてるんだろうなと思える。即興でこういうフレーズが出てくるなんて面白いですよね。

ここはもう京都ではなく、学生時代から慣れ親しんでいるアフリカの森だと、足の裏が告げている。(p.158)

「足の裏が告げている」というフレーズも気に入りました。これもゴリラ学者ならではの感覚、表現なんですが、正確に突っ込みをいれれば、京都御所の森とアフリカの森とのおよそ植生が似ていないだろうふたつの場所を峻別できてない足の裏は案外あてになっていません(笑)。すっとぼけたユーモアを感じました。ちょうど並行してロダーリの『猫とともに去りぬ』を再読していたところだったので、児童文学的な自由な想像力に魅了されること再三でした。

その一方で、陳腐なフレーズやいまいちだなあと思える箇所もいくつかありました。これも「その場小説」の即興性ならではだとおもうのですが、この作品はあくまで「その場小説」そのものではなくて、上でいったようにその記録です。すなわち読者はその場に居合わせているわけではなくて、雑誌に掲載されている作品を場所と時間を異にして読んでいる。だから、いくつかのいまいちだなあと思えるところをそのまま掲載してしまうというのは、「その場」ということばが、不出来な箇所のたんなる言い訳になってやしまいかとも思うのです。

雑誌に掲載される小説作品は、いってみればどの作品も例外なく書かかれつつある瞬間、すなわち「その場」があったわけで、なにもいしいしんじの小説だけが「その場小説」ではない気もするのです。もちろん、集団に公開しながら執筆していくか、書き手が一人机とパソコンにむかって執筆していくかという外見上のちがいはあろうかとおもいますが、書かれていくプロセスでは、集団であれ、書き手自身であれ、書きつけられたことばの読者がそこにはたしかにいて、その読者の反応によって先を続けていくわけですから本質的には「その場」性を共有しているともいえる(僕自身、今書いているこの文章が読み手に伝わるだろうかと思いながら直し直し書き進んでいるところです)。

とすれば、この「その場小説──黄・スモウ・チェス」を書かれた結果としてのテキストだけをぽんと雑誌に掲載してしまえば、あえて「その場小説」と標榜する意義は薄まってしまう(というか推敲したり一定期間寝かせたりしていない未成熟な作品という色合いが濃くなってしまう)。ライブ感をできるだけつたえるなら、ジャズでもクラシックでもポップミュージックでもアイドルの歌でもかまいませんが、そのライブ音源のように、観客の熱狂や歓声、手拍子、溜息をもふくみこむような、すなわち受け手の反応もどこかに記されているような作品だったらいいなと思いました。参加者の反応を単に文字に起こすというような単純な方法では達成されないだろうとおもいますので、このへん、いしいしんじなら他人には思いもつかない面白い工夫をしてくれそうな気がします。

今回の作品テクストのみのままだと、録音室で演奏された小品の、ミスタッチもあるけれどそのまま修正せずにCDにしましたよというような片手おちの作品という気がしないでもない。だから、今回掲載された「その場小説」は、「その場小説」そのものというよりは、そういう試みがあったよという記録、ないしはこの記録を読んでみて興味をもった人へ、「次はその場にぜひいらっしゃい」と誘いをかける招待状として僕はうけとっておきたいとおもいます。
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