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諏訪哲史『ロンバルディア遠景』(講談社・講談社文庫・2012年)

出典:諏訪哲史『ロンバルディア遠景』(講談社・講談社文庫・2012年)
評価:★★★★★

先日読んだ『群像』8月号の「「遠い場所」の詩」つながりで同じ書き手のものを。初出は同誌2009年5月号で、文庫に収録されたものが積ん読状態だったので、これを機に再読しました。文庫解説は『アサッテの人』のエピグラフで引用されたアルトーの訳者、宇野邦一です。

この作品のつくりを、最も素直に単純にうけとればこうなります。美少年詩人の月原篤の才能と容姿に惚れた、詩誌編集者の井崎修一が、彼と過ごした日々の思い出と、ヨーロッパ各地から送られてくる篤の詩稿や書簡とをもとに、小説を書く話。作中では、二人の関係が「本当にあったのかどうか」、特に、天才詩人月原篤は実在しているのかどうかが争点となって、作品の中にフィクション論のような批評も取りこまれています。一冊で、詩、小説、批評が混然一体となった作品で、読者の頭をぐしゃぐしゃにしてくれるんじゃないでしょうか。

諏訪哲史が私淑した谷川渥にささげられた一冊。残念なことに僕は谷川渥の本を一冊も読んだことないのでその影響関係は全くわからないのですが、それでも十分楽しめました。さまざまな小説や詩、ことに異端ものの毒を吸って咲いた大輪の黒薔薇、といったところでしょうか。読者によっては嫌悪感を催す表現もあるかもしれませんし、ことばづかいもかなり古風なので万人向けの本とは言い難いものの、しかし『ドグラ・マグラ』とか『黒死館殺人事件』のように書き手が完全に逝っちゃってて読者が置き去りにされるようなものにはなっていない、読みはじめ面食らったとしてもじっくり食らいついていけば絶対に楽しめるギリギリの線で書かれていると個人的には思いました。

情報量が膨大なので色んな読み方ができそうですが、今回は、なりふりかまわず本気で人に惚れこむ人間の真率さと滑稽さとを同時に味わえる純愛小説として読みすすめました。たとえば、イタリアのベルガモから郵送されてきた篤の便箋と封筒を前にした井崎さんの反応。

 紙面から、アツシの面影を溶かし出し、アツシの存在の濃度を高め、そこにアツシ自身が屹立するまで、私は両手の指の腹で、いとおしく撫で、さすり、唾液が粗相せぬよう気をつけながら、たっぷりと熱い吐息を、衣のように覆いかぶせ、かぶせたその、架空の息の衣でできた、無作為な褶襞、しわの流線を、淫らにねめまわし、視姦する。口にほおばり、かなうものなら、咽の奥まで呑み込まずにはいられないアツシの熱い全身を、決死の禁欲のうちに、じっと呑み込まず、舌先を触れることなく這わせ……、這わせるのはもっぱら十字の折り目のうち、唯一「谷折り」になった一筋の溝に沿ってであるがしかし、ああ、この耐えがたい煉獄の業火に炙られてなお、終に達することだけは自らに禁じ、固く禁じ、それは、硬く、かたくかたく緊……、禁じられ、いましめられて、遮られて、私は歯痒く、身悶えする。そこにしたためられた、若いアツシの、肉筆、そう、彼の、肉、その、いたいけな、筆先から、滴った、青インクの香気に、命を奪われかねない。(p.20)

漢字の表記に揺れがありますがすべて原文ママです。眼の前には単なる紙とそれにかかれた文字しかないのに、それだけを素材、いやこの場合はオカズというほうがいいのでしょうけども、オカズに、四十がらみのホモセクシュアルである井崎さんは、アツシを幻視、激しく発情してしまいます(笑)。狂的な恋に身悶える人間にとって、想い人からとどけられた紙はそれだけで聖性をまといます。書きつけられた文字のインクの染みも、「肉」筆からしたたる芳しき液体に変じます。想い人が手の届かないところにいる分だけ、妄想のなかでその存在感を無限に肥大化させてしまう、これぞ変態文学の真骨頂。ちょうど、ハンバート・ハンバートが、目の前にいないニンフェットをその名、ロ・リー・タの文字だけを口腔内の舌先で愛撫するようにして連呼し、召喚しようとしたような呪術的倒錯ですね。

こうした陶酔境にあっては、ことばの意味も揺れて、さまざまな連想につながっていきます。だから上の個所では、性的なほのめかしが読み取れるようになっている。みうらじゅんの「これ、絶対入ってるよね」にならって、「これ、絶対咥えてるよね」といいたくなる語りです。「アツシ自身」という文字表記は当然、「アツシ本人」という意味と、「アツシのペニス」という意味の間で揺れ動いていますし、「褶襞」や「しわ」も、それぞれ紙の折り目やしわであると同時に、ペニスの裏筋やしわでもある。「肉筆」はさらに露骨。その便箋や文字を「ねめまわす」はあくまで視線のアクションですから「視姦」につながりますが、一字違いのことば、「なめまわす」の残響もあたりまえのように織りこまれています。固く禁じるということばも、ペニスが「硬く」「緊張」するさまに横滑りしてしまい、最後に肉筆から滴る青インクは、とうぜん射精されたスペルマでしょう。井崎さんはもちろん、あからさまなことばづかいは避けていますから、ここでの意味の揺れ、記述から連想される「ペニス」だとか「裏筋」だとか「スペルマ」ということばは正確にいえば、読者である僕の妄想です。読者の頭をこんなふうに妄想で活性化させてしまうのはひとえに、井崎さんという強烈な欲望とことばをもった人物を造形しえた、諏訪哲史の力量に他なりません。本当にすごいなあ、このくだり。

次は、泥酔した二人のやりとり。嘔吐をこらえ瞑目する井崎さんに、蜂蜜をさし出す美少年の篤。

「気持ち悪い。蜂蜜はいらん」
「ハハハハ、違うよ。おい、目を開けてよく見ろ。あんた、これが舐めたかねえか?」
 ……その時、もしや、と、ある非現実的な、凄まじい妄念が私を貫いた。
 夜毎顕現し、私を悶えさせた「あれ」、あの偶像を、ついに自分は現実に舐める……。全身の血が頭に殺到する感覚を気つけに、私はカッと両眼を見開いた。(p.151)

このくだりで爆笑してしまいました。さすが妄想の人、井崎さんだけはあります。見る前から自分の願望が先走り、直接小説中に記述はないものの、篤がペニスに蜂蜜を垂らしている姿でも想像したんでしょうね。最後の、「全身の血が頭に殺到する感覚を気つけに、私はカッと両眼を見開いた。」なんて木下古栗です(笑)。

自分自身も詩や詩評を書く井崎さんだけあって、使われている言葉がかなり古風な(そして月並みな表現もすくなくない)ことによって、この同性の美少年にたいする憧れを爆発させる数々のくだりを面白く読ませます。普通のことばで書いてあるだけだったら、なんのことはない安手のポルノになってしまいかねません。

なんだかこう抜粋してくると、未読の方に、たんなる中年男性のエロ妄想小説と取り違えてしまわせそうで心配ですが(笑)、いや、それはそれで一つの読み方なのだけれど全体を通して読めばそれ以上に、数々の収穫がきっとあります。サドマゾの関係、書くことと書かれることの関係、表層と深淵、異端小説や奇想小説の系譜、さまざまの要素が、井崎さんと月原篤という二人(もしくは本当は一人)の人間のなかで合流し、圧倒的な水量と勢いで読者のなかになだれ込んできます。とかく「難解」だとか、「哲学的」だとかレッテルをはられて敬遠されてしまいそうな書き手の、そのなかでも一見しただけではかなり込み入った風にも見える小説ですが、けしてそんなことはない、じっくりつきあえば絶対に笑えるし、泣けるし、頭は沸騰するし、身悶えできる、何でもありのディオニュソス的欲動によって突き動かされた現代版異端文学。黒い精髄がこの一冊に濃縮されています。
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