スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

綿矢りさ「大地のゲーム」

出典:『新潮』2013年3月号
評価:★★☆☆☆

中学生役の小林聡美が「女にSFは無理だ」と兄役から断言されるのは映画『転校生』のなかの一こまで、公開年が1982年だったことを考え合わせれば当時すでに、「女はSFに不向き」という通説があったんでしょうか。漫画なら萩尾望都や竹宮恵子、あるいは小説であれ『ゲド戦記』のル=グインはじめSFに詳しくない僕でも女性作家数名がすぐ思い当たりますから、そんなの嘘っぱちだとわかります。しかし、それから時をへだてること30年あまり、本作を読了後そういう眉唾説が口をついてでそうになります。簡単にいえば、作品世界の造形の詰めが甘い、という読後感。

作品タイトルから想像できるとおり「地震もの」です。そうはいっても作中一度も日本ということばは出てきません。

「相次ぐ急激な気象の変化、それに伴う衣食住の変化、また不安定な国内情勢により、私たち国民の平均寿命は年々短くなり、去年、ついに女性は七十代後半、男性は六十代後半となりました。しかし思い出してください、もともと我々は百年を軽々と生きられる民族だったのです。男女とも平均寿命が百年近くまで上がる、確かにそんな時代も過去にはあったのです。(後略──引用者)(p.61)

上のことばは、大学生で「反宇宙派」のリーダーが聴衆に向けてかます演説からの引用です。というわけで、日本とは完全にかさならないんだけど、僕たちが生きている今から数十年か数百年単位すれば、上でふれられているような時代が来ないとは断言できないほどの地続きの未来話と僕はうけとって読みすすめました。脇道に話をそらすと、上の演説でそれを聞いている聴衆は「熱狂し、興奮する(p.61)」んだそうですが、新聞の社説みたいなことばでは僕の心は全く動かされません(笑)

どうやら原子力発電から自然エネルギーへの転換をすませた社会らしく、電気の無駄遣いも許されないというのも本作品の大事な設定。このあたりも、今の時点で読む僕としては、困りものの福島第一原発をかかえる日本のその後とるかもしれない選択肢の一つの社会を描いているとうけとりました。しかし、この設定にしても、作品背景としてざっと説明があるだけで、具体的にどういう不自由を被っているのか、あるいはそんな社会になったことでどういういいことがあったのかが、作中人物の具体的なうごきとはそれほど結びついているとは思えません。そこを生きたかたちで展開するのが小説の面白いところじゃなかろうか。

そしてもう一つ大事な設定として、一度大きな地震によって「国土の半分が破壊(p.30)」され、さらにその後にも九十パーセントの確率で同規模の地震が起こると予報されている不安の中を生きている大学生たち、というものがあります。国土の半分が破壊される甚大な被害も、ここでは具体的にどういう不便が生じているのかがリアルにシミュレートされておらずやっぱり説明があるだけです。外国からの救援がどうなっているのか全く書かれてないし(語り手の関心の埒外なのでしょうか)、地震直後には

のちに誤報だったと分かるが、政府の意向として学校側が門を閉鎖し、助けを求めに来る侵入者と逃げ出そうとする脱走者を防いだ。混乱と余震が続くなか、七日間、私たちは学校のなかに閉じ込められた。(p.30)

という状況があったそうです。普通、災害時には、大学のような大きな機関は緊急避難場所として用地を提供することになっているはずですし、大学職員にもそれ担当の職員や対応マニュアルは準備されているはずで、大学を封鎖するなんていう暴挙はまずありえません。「この作品の設定ではこうなんだ」といわれれば、そうですかとしか言いようがないですが。そして、震災二日後に届いた救援物資は、

ハンバーガーと酒だった。冗談だろといまなら思うが、備蓄食糧が足りず、周辺の協力店がファーストフード店とリカーショップだけだと政府から聞いたわたしたちは、なんの戸惑いもなく、毎日二回、武装トラックが運んでくるぺしゃんこのハンバーガーと聞いたことのない名前の生ぬるい缶入りの酒をむさぼった。(p.31)

のだそうです。周辺住民を無慈悲に締め出し、学生たちを強制的に拘束するような大学に、救援物資が運ばれて来る、というのはどういうことか。しかも、つい前のページで、誤報に基づき地震後「七日間」学生を拘束した大学側は、地震後「二日」たってやってきた救援物資を運ぶ武装トラックの人から、二日目も三日目も四日目も五日目も六日目も、なんらかの情報は得なかったのでしょうか。それともこの武装トラックというのも、公的機関のトラックではなくて、民間の義勇軍的な組織のものなんでしょうか。原発がなくなってエネルギーに厳しい社会で、民間の組織が、燃費の悪い武装トラックを所有しているなんて想像力の乏しい僕には想像つきません。「この作品ではそういう設定なんだ」といわれれば、やっぱりそうですか、と頷くよりほかありませんが。

上の二つの引用で語り手が自分の語りの内容に「誤報だった」とか「冗談だろ」とか注釈を加えるところは、語り手のことばというよりむしろ、書き手の綿矢りさ自身ですら本気で信じられていない適当な設定にたいする、書き手の言い訳でしかありません。

「国土の半分が破壊される」という未曽有の大災害に匹敵する経験でいえば、僕たちは、太平洋戦争を知っています。そして、その戦争直後の虚脱状態や、混沌、あるいはそこから這い上がる人たち、取り残される人たちを描いた小説作品を多く知っています。そういう、圧倒的なカタストロフを実際に経験した人たちが、圧倒的にリアルな作品を書いてきたものにくらべれば、この「大地のゲーム」なる作品は、全く地に足がついていない、作家の粗雑な想像の産物でしかありません。ですから、作中で人々を熱狂させるといわれているリーダーの主張にしろ、それに対立する派閥の主張にしろ、まったく説得力にかけます。作中人物も、この未曽有の大災害を経験しかつ目の前にさらに同規模の危機が迫っている状況のなかでも、なにに突き動かされているかといえば「ほれた、はれた」の恋愛話や痴話喧嘩ばかり。これでは、たんなる中高生の学級会、あるいは小学生の「地震ごっこ」遊びレベルです。社会に対するどんなビジョンを抱いているのか、大学卒業後どのような職につこうとしているのか、大災害の経験はこの登場人物たちの生き方にどんな影響をあたえているのか、ぜんぜん描かれません。

結局最後は、語り手の女子大生が「私の男」と露天風呂に一緒に浸かり、

すっかり夜気に熱をさまされた私の男の腕が、私を捕まえて抱きとめ、背中のありとあらゆる場所に唇を押し付けながら、貫こうとする。
「おまえとやるのが楽しみすぎて、胸が痛い」(p.79)

なんてことになって、なあなあのうちに大団円(笑)。女子大生の温泉好きには目を見張るものがある!

総じて、作者自身も信じきれていないし、詰め切れていない設定を、大地震や原発事故を経験した今だから書いておけばとりあえず読まれもするだろうということで、なんとなく書いたんだろうと思わせる、ぬるま湯SFでした。「女はSFに不向き」は訂正します、「綿矢りさはSFに不向き」。

(追記)とは書いたものの、どれほどの大災害に遭ったとしても、人は「ほれた、はれた」の方が重大事だし、あるいは他人から承認・賞賛されることの方に関心があるのだ!というシニカルな人間観を出しているのかな。おざなりな設定の瑕への評価は変わらないけれど、こういう状況のなかでの人間の見方にはそれなりに説得力はあるきもしてきました。
スポンサーサイト

コメント

Secret

No title

ふらっと立ち寄ってみました。面白いです!これからも期待してます!

No title

感想ありがとうございます。暇つぶしにでも読んでいただければうれしいです。
プロフィール

読む人

Author:読む人
小説の感想を、自分基準で。コメントはご自由にどうぞ。

★☆☆☆☆(面白くない)
~★★★★★(面白い)で評価。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。