スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

木下古栗「新しい極刑」

出典:『すばる』2013年10月号
評価:★★★★★

何冊も本を読むことは自分なりの天体地図を作っていくことにたとえられます、と言ったはしから誰かがこんなことを言っていたような気がするんですが出どころはおもいだせません、すみません(笑)。話をもどして天体地図の話。最初のうちは、読む本読む本それぞれが一つひとつの孤立した星に見えるものですが、読んだ本が積み重なっていくうちに、それまでバラバラに見えていた星が繋がっていく。どんどん結びついていく経験はやがて、いくつかの近い星どうしの星座を形作らせる。星と星、星座と星座との距離感がつかめてくるとおぼろげながら天体を見渡せるようになる。といっても見渡している天体の星星は見ている人の読書経験によってつねに変わっていく可能性をはらんでいます。子供のころに見たもののほとんど印象に残っていなかった星がある日突然輝いてきたりもして、日々、本を読むことでかたちを変え、輝きを変える天体地図は読書家ひとりひとりの宝の地図です。とここまでは地図の詳しさや広さに程度差はあれ、だれでも一枚はもっているはずの地図。僕が小説家に見せてもらいたいと願うのは、既知の星座や既知の星の解説ではありません。そうではなくて、いままで誰も知らなかった星や、あるいは既知の星であっても「その星とその星が結びつくのか!」という未見の星座です。

木下古栗の「新しい極刑」には、これまでの純文学の小説家にはない星と、その星と星とを絶妙に結びつける手並みがあります。ここ最近の作品で、編集者の求めか作家の試行か、「いい女vs.いい女」でみせたぶっ飛び具合を、より広く受け入れられそうなかたちにブラッシュアップしているような印象でしたが、ここにきて発表された「新しい極刑」はその、ぶっ飛んだエネルギーと、受け入れられそうなかたちとを見ごとに両立させた作品です。

木下古栗のこれまでの作品の舞台に選ばれていたのはだいたい日本でした(だいたい、というあいまいな言い方を許してください。木下古栗ファンならすぐに幾つも作品を思い浮かべられるはずです)。日本という舞台を選びながら、そこに外国人を登場させたり、変わった趣味の人物を出したり、レトリックの中で宇宙の話を持ち出したり、世界各国を渡り歩いた人物を登場させたり、虎と闘ったり。つまり日本人読者にとっての日常(日本)を、日本でふつうに生活していては出会えないような人物や出来事(非日常)にぶつけて、無理やりドラマをうごかしていく。「いい女vs.いい女」の感想を書いたときにも言及しましたが、この矛盾する対極のものをぶつけて、そこに発生するエネルギー(両極が離れていればいるほど激突時のエネルギーは大きくなります)で読者の笑いをさらう技量にもっとも長けた作家こそ木下古栗です。その木下古栗がこの作品で到達した作品の大地は、日本ではなくアメリカでした。日本人ならとてもとらないような無意味な、馬鹿馬鹿しい行動も、アメリカ人なら難なくやってのけてしまう。ちょうどテレビでよくみる「アメリカから届いたおバカムービー」のなかで笑いの対象にされる白人男性(スキンヘッド)を想像すれば丁度いい。「本当にいるのかよ、こんなやつ!?」という驚きとともに画面越しに繰り広げられる白人男性(スキンヘッド)の奇行。それは現実と非現実とのあわいで存在自体が揺らいでいます。小説の登場人物もほんらいそうではなかったか。

「矛盾」を一つのキーワードに、その両極を強引に結びつけていく。その結びつけ方がおざなりであれば読者は途中で読むのをやめるんでしょうが、木下古栗の場合はその詐術がみごとなんですね。レトリックをふんだんに駆使し、評論調というより論文調の固めの言い回しで、読者をみごとに幻惑してしまう。「新しい極刑」ではいくつもの相対する人物、要素がこの作家一流の力技で結びついています。「生と死」、「人間と機械」、「美と疾患」等など。こうキーワードを抜きだしてくるのはさして難しいことではないにしても、それら両極をうまくつなげられるのはやはり、木下古栗のこれまでの読書体験(とうぜん小説だけではない)によって描かれた天体地図のあつかいを自家薬籠中のものにしているからにほかなりません。

行き過ぎた改造によって不気味の谷に足を踏み入れた不自然な外貌の中毒者もまた同じ人間とは思えず、時として「整形サイボーグ」と呼ばれもする。つまり半ば機械化しており、その蔑称的な比喩の裏には当然ながら、違和感の因子となる内面の病的傾向が含意されている。肉体に瀕死の傷を負った兵士を治癒するために生まれた技術が、時を経て進んで血肉を加工させる中毒者の精神に宿り、すなわち「美か疾患か」の疾患の側面に繋がり、すべてがロバート・ミラーの展示の付属企画、公開講座の壇上での対峙に収束する。(p.55)

そして大人の場合、表から「やる」と裏から「生まれる」の二通り、二種類の巨大女性器に頭を通すと受胎に必要な行為と出産の感覚をまさに「頭で理解する」ことになり、大まかに言って、受精そのものは神秘に包まれたままながら、その前後を身をもって追体験できる。(p.66)

名実の不一致そのものが数奇な巡り合わせの一致を感じさせることすらある。元アメリカ海軍特殊部隊所属、イラク戦争時に公式記録で一六〇人を撃ち殺した米軍史上最強と謳われた名狙撃手がこの講演の直前、テキサス州の射撃場において、退役後に設立した非営利団体の、PTSDを患う退役軍人の支援などを目的とした活動の最中、PTSDを患う退役軍人の若造によって撃ち殺された。(p.71)

それぞれ短い引用箇所ですがいくつも「矛盾」が仕掛けられています。それもことごとくうまくいっているし、作品の一部分だけでうきあがらず全体と照応してもいます。「ことばともの」との、本来別々のレベルにあるものを、小説のテクスト上で戦略的にごちゃごちゃにしてみせる。ここに妙な説得力というか、「言われてみれば」とか「うまいこと言う」と思わず読者をうならせる、思いもしなかった思考回路あるいはものの見方がうまれます。これこそ木下古栗にしか見えていない、というかこの作家も描き出すまでははっきりとは見えていなかったかもしれない星座です。「言葉によって言い表されることでてはじめてそういう見方があることに気づく」というのは、すなわち、佐藤信夫のレトリック研究でみいだされた洞察、《発見的認識の造形》に他なりません。

こうして、この『すばる』10月号を手に取っている読者とはかけ離れた世界を延々描いておいて、最後の最後、「○○はアート」「○○はアート」のリフレインによってそこまで書き連ねてきた散文を詩のように3ページにわたってパラフレーズしながら、作品の本当に最後、

自動的に死んでいく人間はアート(p.87)

と、視点を読者自身にもっとも身近な、いや、読者自身である「人間」にもってきて作品を閉じる。このフレーズを日常的な言葉づかいでいい表わすとすれば、十人中九人は

自然に死んでいく人間はアート

というはずです。なんの前置きもないならば「自動的に死んでいく」という形容詞が「人間」にかかってくるのは違和感がある。ほんらいなら機械にたいして用いられるべき「自動的」という形容詞が、生命体である「人間」を修飾するという語と語との関係は、ここまで使ってきたことばでいえば矛盾、より正確にレトリック用語でいいなおせば撞着語法(オクシモロン)です。この撞着語法には、他のレトリカルな表現方法とくらべても、《発見的認識の造形》を達成する効果がとびぬけてあります(もちろん成功すれば、の話)。この作品にそくしていえば、「自動的に死んでいく人間はアート」にたどり着くまでのすべての文章は、最後の決めフレーズ、その修飾被修飾関係からいえば違和感があるはずの撞着語法を、そこまで読んできた読者に納得づくでスルッと読ませるための壮大な前ふりだったんですね。実際、この最後のフレーズを、「あたりまえ」のものとして抵抗なく読み流してしまったとすれば、それは、木下古栗のレトリックによって見事に説得されてしまったことの最良の証左です。ここにたどり着くまでに読者のものの見方=認識の仕方が、それと気づかぬうちに木下古栗流に造形されてしまったわけですね。

この傑作を読了後しばらくは、意味と無意味の判別自体が意味のない、一種悟りのような境地にすらさせられました。この作品を、なんとしてもアメリカの読書家たちに届けたいですね。日本のローカルな、ローカルというよりも作家の身辺に起った出来事と、たまたま直近に読んだと思しき本から「影響をうけた」部分をさして面白みのない手つきで書きちらした駄文の掲載されることも少なくない純文学雑誌。その中にあって、この作品が勝負している地平はそんなせせこましい土俵ではなく、時代と地域を問わない、「文学空間」としかいいようのない普遍的な空間です。キラ星からほとんど光を発していない星まで満天の星で埋め尽くされた天体のなかで、この「新しい極刑」の光が没してしまわない。木下古栗という作家の持っている天体地図は恐るべき読書経験の質と量とに支えられたかけがえのない地図のはずです。訳者の技量に絶対的に依存してしまうのは仕方ないとしても、この作品を何としても日本語読者以外に届けたい、読ませたいです!『すばる』編集部、なんとかしてください!
スポンサーサイト

コメント

Secret

プロフィール

読む人

Author:読む人
小説の感想を、自分基準で。コメントはご自由にどうぞ。

★☆☆☆☆(面白くない)
~★★★★★(面白い)で評価。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。