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上田岳弘「太陽」

出典:『新潮』2013年11月号
評価:★★★★☆

星四つ自分でつけておきながら評価をちょっと盛っている気がしないでもないですが、新人賞受賞おめでとうございますというご祝儀も込めて。ここ数年の新潮新人賞受賞者はけっこう活躍していて読ませる作品も多いことから読み手としても注目したい新人賞です。今年度の新潮新人賞受賞作「太陽」も、タイトルの名に負けない大ボラ話です。近年の純文学がSFに近づいていっているというかすり寄っているというか、そもそも純文学やSFというジャンル分けがもうあまり意味をなさなくなっているような気もするなかで、それでも純文学らしさみたいなものがあるとすれば、それはほかジャンルの小説にくらべると、破格への許容度が読み手に高いところだろうと思います。本作にも、古臭い「小説らしさ」にこだわらない意志みたいなものが感じられました。

冒頭、太陽と核融合の話が始まり、急に視点が日本の大学教授のもとに切り替わります。

 そのようにしてようやく金は生まれる。が、これはある閾値を越えた質量を持つ恒星の話であって、太陽のことではない。
 そのため、金だ
 金
 金
 金が必要だ
 と切実に願う、太陽から数えて三番目の惑星の住人、春日晴臣の欲するものは太陽からは生まれない。もっとも、春日晴臣がこの時欲していたのは金であって金ではない。(p.122)

強引な視点の切り替えも、この後この大学教授がデリヘル嬢と待ち合わせすることになり、かと思えば錬金術の話題を経由して、一気に南アフリカにあるという赤ちゃん工場まで地理的にジャンプします。空間の移動だけではなく、世代を重ねた未来社会で、「大錬金」なるものをもくろむ人物の話も展開し、時間的にもジャンプします。この、ぽんぽん切り替わる視点をうまくコントロールして読ませる作品として成立しています。

話題や視点を転換するときにどううまく転換するかは書き手の腕の見せ所かとおもいます。本作の最初で、「金(きん)」から「金(かね)」へと言葉の意味をずらしつつ、同時に話題も転換するというのは日本語の表現として面白いものだと思いました。ヘタにやるとたんなるおやじギャグになりかねない危険もありそうですが、冒頭でいきなり壮大な話を持ってきているので、「何がはじまるんだろう」という期待感がまさり細かい突っ込みをいれるよりも先を読みたい気にさせられました。

純文学系の小説は新人賞作品も既成作家の作品も、なぜか日本あるいは日本っぽい場所を舞台にした話が多い気がします。エピソードも妊娠したとか、仕事がつらいとか、いつかどこかで読んだような話(笑)。書き手にとってはおそらく切実な問題なのかもしれませんが、書き手のことを個人的に知らない(し、特に知りたいとも思っていない)僕みたいな読者からすると、それを描く理由にいまいち説得されないこともしばしば。せっかくうそごととしての小説を書くのだから、せめてフィクションのなかでは日常的な縛りを取っ払えばいいのにと常々思っているなかで、「太陽」のような作品には期待が持てます。もっとも、日常的でない話であっても世界観の作りこみや書き方が甘ければ付き合ってられないですが。

話を戻して本作「太陽」について。とにかく次から次にほら話が出て来るので読んでいて飽きませんでした。

頭脳レベルを図る尺度の一つであるところのIQからすれば、今回の八人は一人を除いて、赤ちゃん工場の元工場主ドンゴ・ディオンムよりもかなり能力が低い。デンマークから参加したトマス・フランクリンのみIQ200を超えているが、残りは100~140で、並~上の下といったレベルである。もし、彼らがドンゴ・ディオンムと同様の育てられ方をしたならば、早々に今生から退場するか、生き残ってもドンゴ・ディオンムのような生活は望むべくもなかっただろう。そんな彼らが実態調査するのは「赤ちゃん工場」についてだ。(p.133、漢字は原文ママ)

「図る」ではなくて「測る」でしょうけど。「赤ちゃん工場」とは何かについて期待を引っ張られたうえに、その怪しげな話を語るなかで、さらに仮定法によって(「同様の育てられ方をしたならば」)語られている話の空間を可能性の空間にまでさらに広げる。こうしてどんどん話が広がって行きます。こんなふうなホラ話の膨らませ方、あるいは語り口に、しばしば乾いたユーモアを感じられました。たとえば次のような記述も。

彼は木の幹にぶつかる直前、自分がこの一瞬後に死ぬのだということを理解していた。死亡するまでのほんの一瞬の間に、これまでの彼の優秀な頭脳が編み出してきたあらゆる考えの内、もっとも価値のあるものを瞬時に再生し、あらゆる存在をひとしく愛し、全人類の幸福を祈りながら彼は即死した。それから四十五日間誰からも発見されず、偶然通りかかった「爪の先」の店主がずたぼろになったジープを恐る恐る覗きこんだ際に見つけたのは腐乱した死体であり、彼はそれがドンゴ・ディオンムであることに気がつきもしなかった。(p.140)


こうしてホラ話をつないで現代から未来、あるいは日本やフランス、アフリカをいったりきたりするめまぐるしさをうまくやってのけた本作はフィクションならではの面白さをあらためて味わわせてくれました。

と、作品の姿勢には満足だったんですが、若干気になるところを二点だけ。

まず一点目。中盤をすぎて通り魔が出てくるあたりからは、ホラ話というよりはやすっぽいテレビドラマを見ているようで興ざめでした。あるいは終盤にかかる176ページ目から、なんの伏線もなくいきなり人称が「俺」に変わってしまうのもその必然性が分かりませんでした。書き手都合のひとりよがりにつきあわせられるのはやはりうんざりです。全体を通してみると、前半から中盤にかけてはわくわくし通しで読み進めたんですが、後半になっていくにしたがって、冒頭しばらくから続いてきた書き手のテンションが保ち切れず、なにか既成のフィクション(小説にかぎらず映画とか)のありきたりな表現に寄りかかってしまったきらいがあります。

二点目。書いているときのテンションで突っ走った感があって、書かれた文章の細かいディティールにまで神経が生き届いていないところがありました。たとえば、上で引用したドンゴ・ディオンムの腐乱死体の話ですが、アフリカ中央部の野外に45日間も死体が放置されれば腐敗を通り越して白骨化しているはずです。あるいは、大学教授の春日について。二十年先に自身がリストラされる可能生を心配しており(p.131)、そこから逆算すると、現在三十代後半か四十代前半あたりで、財務状況のよいとされる大学で教授(准教授ではなく)になっているんですが、目立った業績もないこの人物がこの若さで教授というのは若干違和感を覚えました。にもかかわらず、さらにその人物が国連査察団のメンバーに選ばれるというのも、「なぜ?」が先に立ってしまいました。そもそも、大学教授という設定自体が有効だったかと考えてみると、首をひねってしまいます。ディティールということでいえば、日本語の使い方がヘンテコなところと、単に漢字間違いをしているところも。通り魔がナイフで切りつけてくる場面で、

が、ケーシャブ・ズビン・カリは華麗に身を交わしてその攻撃を避けた。(p.159、漢字は原文ママ)

「交わして」だとナイフを持った通り魔のカマを掘った(あるいはほられた)ことになってしまいますが、書き手の言いたかったのはそうじゃないでしょう、たぶん。こういった注意力不足からおこる細かなミスは、そのつど読み手のテンションと書き手への信頼を下げてしまいます。書き手もですが、新潮の編集と校閲も頑張ってください。本作「太陽」掲載ページの途中に、イアン・マキューアン『ソーラー』の広告をこっそり挿入する暇あるんだったら作品自体のチェックも気合いれてください(笑)。

と、読んでいて気になったことに注文つけてしまいましたが、全体としてみてみれば次回作にも期待したい大ボラ作品でした。受賞おめでとうございます。
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