スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

奥田亜希子「左目に映る星」

出典:『すばる』2013年11月号
評価:★★★☆☆

若手のそこそこ人気ある俳優をつかって映画にすればウケるんだろうな、これ。

これも星三つをつけたものの、先日の新潮新人賞受賞作「太陽」にひきつづき、ご祝儀が入っている気がしないでもないです(笑)。僕の好きなタイプの小説ではないんですが、そんな僕にも読後すわりの悪さを残してくれた小説なので、バッサリ「こんなの面白くない」と切り捨てることはできませんでした。さっさと「恋愛小説」というくくりに放りこんでしまいそうになりつつ、いや待てよと自制が働きました。主人公の早季子が小学校四年生のときの吉住君に恋して以来ずっと、吉住君以外の人を好きになれないまま「孤独」に過ごす。その彼女が最後の最後に文字通り張り倒されて、孤独から脱するときに口をついてでる言葉がとても印象に残りました。この台詞に出会うために僕はこの小説を読んできたのだといってもいいくらい。

「でもそれが、宮内さんと一緒だと素敵なものに思えるんです。映画も音楽は悪くなかったよなとか、リリコも唇の形は可愛いな、とか。宮内さんといると、私はどんどん好きなものが増えて、楽しい気持ちになります。宮内さんの、私とは全然違うところが好きなんです。だから私は、宮内さんに何度だって会いたい。宮内さんともっとたくさんの時間を過ごしたい」(p.108)

それまで孤独の殻に閉じこもって、「私はたぶん、この世界の誰とも付き合えない(p.31)」なんていっちゃうほどの傍目にはイタい女性の早季子ですが、そんな彼女が最後に孤独から脱することばです。

そもそも何で孤独にこだわるのかといえば、幼少期に左目だけが近視+乱視になって左目だけで見えた世界に

「衝撃的でした。確固としてそこにあると思っていたものたちは、単に目を通じて見えているだけの存在で、だから目が違えば、簡単に別の世界に変わりうる。上手く言えないんですけど、なんだか急に世界がひどく脆いもののように感じられました」(p.49)

と衝撃をうけた経験があります。これに加えて、引っ越しを繰り返して友達ができにくいという境遇にあったところで、唯一、彼女の世界観を分かち合える吉住君という同級生とであえたからこそ、吉住君以外の人間とは深く交流することなく、「私ってば孤独」状態をひきずってきたわけです。その早季子が、最後に自分のこだわってきた信念の見方を変えて、「他人と見えている世界が違う」という前提は同じながら、「価値観の違う他人を受け入れる」という選択をしたところには素直に感動がありました。恋愛を通じて一人の人間が成長する小説だったんですね。ここで、プロセスを簡略化してあらすじを語ってしまうと、彼女とともに成長することができませんので、気になる方は小説を読んで、早季子の見方の変容を味わってください。

で、この小説の根っこの部分はきわめてまっとうなものだと認めつつも、いくつか雑なところがあってこの小説の美質をそこなっています。以下、雑なところを適当に列挙します。

語り口の雑さ。たとえば26歳の早季子が、心のなかの吉住君にむかって呟くことばが

分かっているよ、吉住くん。分かりすぎていて……もう痛いよ。(p.98)

です。こんな、頭の足りない女子高生みたいな語りは、それまでのクールな早季子像とはちぐはぐでした。DQN女のツイッターのノリで書いてはだめでしょう(笑)。

論理の雑さ。次は、吉住君がどれほど早季子の精神的支柱になっているかを語る場面です。

 吉住くんは、私を構築してくれた。
 この思いは種子のように固く早季子の中心にあった。孤独との付き合いも、右目を瞑る癖も、すべて吉住からもらった。吉住を抜いた自分を、早季子は想像できない。昔、職場の先輩たちとカカオ九十九パーセントのチョコレートを食べ、これはもはやチョコじゃないと騒いだことがあったが、それと同じだ。吉住成分の抜けた自分は、もはや自分ではないのだ。(p.33)

「それと同じだ」の前後が論理的に繋がりません。カカオ成分九十九パーセントのチョコレートはチョコレートじゃないというのなら、吉住成分九十九パーセントの早季子は早季子じゃない、としないと論理的につながりません。となると、それほど多くない、ほどほどの住吉成分で構成されるのが早季子だ、となってしまいます。しかし、書き手のいいたいことは真逆でしょう。雰囲気で書き流さないでください(笑)。あと、「構築」というのは建築用語から転義してきたことばですので、ここでの使い方はしっくりきませんでした。使い慣れていないことばは無理に使う必要はないはずです。

また、雑とは逆に、凝っている点がマイナスになってしまうところも。「兼子」とよばれる人とセックスを終えた直後の描写が作品のはじめにあります。語り手が女性だと思って読んだものの、「兼子」という相手の名前のせいで、語り手の早季子はレズなのか?と一瞬解釈で戸惑います。しかし、読んでみれば男性とセックスしたということが分かる。つまりレズではない。すると、男性1の女性2(早季子、兼子)で三人プレイをしたのか?と、また解釈を変更しました。しかしこれも違う。こうした迂回路を経て、「兼子」というのは名前ではなくて、苗字だったのだということに気づきます。書き手としては読者の読みを撹乱して「してやったり」なのかもしれませんが、僕はもうここで読むのをやめようかと思いました(我慢して読んだけど)。こういう、無駄に読者を引きまわすような書き方、作品の重要な部分と無関係な方法のための方法は、作品を安っぽくするだけです。ウケないギャグを自分だけが面白がっているだけです。「山田」でも「佐藤」でもなく、「兼子」でなければならない必然性があったかどうか書く前に問い直すべき。

他にも細かいところで、語彙の選択がしっくりこないところ、人物造形やセリフがステレオタイプすぎるところに再三躓きました。というわけで、本筋のところではまずまず読めたんですが、細かい部分で少なくない引っかかりを覚えちゃった作品でした。けれども、根っこの部分がしっかりしているなら、テクニック的な部分、小説表現での拙い部分、論理的な展開の不十分な部分などはどれも、枝葉にすぎないかもしれません。それらはみな編集者らとのやりとりや書き手の研鑚によって、いくらでも改善出来る部分かと思いますんで、今後頑張って書かれることを期待しています。綿矢りさや朝井リョウの筋狙いならうまくいきそうな気がします(無根拠)。
スポンサーサイト

コメント

Secret

プロフィール

読む人

Author:読む人
小説の感想を、自分基準で。コメントはご自由にどうぞ。

★☆☆☆☆(面白くない)
~★★★★★(面白い)で評価。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。