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荻野アンナ「いいえ 私は」

出典:『群像』2013年2月号
評価:★★★☆☆

「鰯の頭も信心から」とか「信じる者は救われる」。こういった古くからある言い回しを考えてみるに、合理主義ゴリゴリの人だと実証できないものは決して信じないのでしょうけれど、人間活動は広義の宗教的なものによって下支えされていることは否定できません。普段、健康に生活して、多少不満はあれど命に別条なく暮らしていける状況にあれば宗教的なものにあえて目を向ける機会も必要もないものの、いったん健康を損なったり、不運な事故に遭ったりすれば、自分の状況をうまく説明づけてくれるもの、あるいはそこから事態を好転させてくれるものをもとめて、「なにか」に縋る人は少なくない。その「なにか」が鰯の頭だったり願掛けだったり(新興)宗教の教義だったりするわけです。身近で大切な人が病気になってはじめて、ふだん神社や寺に足を向けない僕でさえ、いそいそとお守りを買いに行った記憶が本編を読んでよみがえりました。本作では、投薬と点滴でがん治療している語り手「私」が、「石」と「水」を願いの依り代とします。

闘病ものを小説として描くにはどうしたらいいか。一つはその切実さを切実さそのものとしてストレートに描くまっとうなやり方があり、もう一方では、本人にとっては切実でも「見方を変えてみれば随分滑稽にうつることもあるよ」とクリティカルなユーモアで包んでやる方法がある。本作ではどちらかといえば後者よりなんですが、がん治療に際して「石」や「水」に縋るようになる語り手「私」の切実さも同時に感じられました。したがってここは、たんなる滑稽ではなくて、「悲しく、滑稽」といいたい。

それゆえ、文章の細部も闘病ものの壮絶さを単に描くのではなく、壮絶な中にもどこかユーモアがあって読ませるものになっています。次の引用部は薬の副作用について書かれた箇所。

 困りものは「脱力感」で、頭を斧でぶち割られた死体が、斧の重みで頭をふらふらさせながら、辛うじて食って排泄していると思えばいい。これに全身のリンパの炎上感が加わり、枕から頭の上がらない日が増えてきた。(p.85)

シンプルに「頭が割れそうなダルさ」とでもいえばいいところをこうして誇張してユーモアを漂わせています。誰に向けたユーモアか考えてみると、まずは彼女とともに暮らす妹にむけたものだと思い当たる。妹に心配をかけまいとする気遣いが感じられます。そして、どうしようもない状況になっている自分自身にたいするもの。現状の苦しさを苦しさそのものとして自分で語ってしまっても仕方がない、せめて語りのうえだけでもどこか余裕をもっていたいという切実さが伝わってきます。さきほど言った、「悲しく、滑稽」たるゆえんの一端です。この表現自体に「死にながら生きている」という撞着語法的な状況が込められていて、死にながら生きつつ地獄の業火で焼かれ続けるあの世の予感さえ感得できます。ここまで読者に連想をつなげさせる仕掛けとして、実は、ちゃんと作品冒頭に『さそり座の女』の歌詞から

♪あなたはあそびの  つもりでも
 地獄のはてまで    ついて行く(p.83)

と引用して伏線を張っているんですね。「地獄」の文字と音がまだ読者の頭のなかで余燼を燻らせているうちにこの表現。見事なタイミングというほかありません。

こんな風に本作では、手を変え品を変え、地獄や死にまつわるモチーフを変奏していくんですね。その変奏一つ一つを読んでいくにつけ、レトリシャン荻野アンナの腕前がいかんなく発揮されていていちいち感嘆しました。いくつか目につくままに抜き出します。

たまには臓器に咲いた薔薇のように美しい癌もいる。私は自分の薔薇を畏れつつ愛した。手術後はちょうど初夏で、近所の薔薇園に日参して、手放したばかりの肉の薔薇のことを考えていた。(p.87)

 石の鏡に映る妹と私は、ふたつのぼんやりした髑髏に見える。(p.89)

流星の落ちる先は地獄の王リュシフェルの燃える口の中です。(p.90)


この作品のなかにはめ込まれれば、ブリ大根に何種類もの調味料をどばどば投入し味の微調整をくりかえす場面も、たんに面白料理シーン以上の意味合いをもってきます。すなわち、魔女がとろ火でぐつぐつ煮える大鍋の前に立って、秘薬を調合している呪術的な雰囲気が漂う。

この作品全体は、したがって、「メメント・モリ」をキーワードにした現代版地獄絵図として読解できます。中世の宗教画、それも真面目な奇蹟の場面を描いたものというよりは、民衆のグロテスクな習俗や土俗信仰をごちゃごちゃと描いたものとして。短編という分量の制約にもかかわらず、描かれた世界の「向こう側」あるいは彼岸を感じさせてくれる面白い作品でした。
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