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守島邦明「息子の逸楽」

出典:『文學界』2013年12月号
評価:★☆☆☆☆

『文學界』同号の「鳥の眼・虫の眼」では悪文の効用について云々しています。そして第117回文學界新人賞受賞作のこの作品。悪文に次ぐ悪文で僕にはついていけませんでした。選考委員のひとり松浦理英子はこう選評を書いています。

母子癒着と介護というシリアスな題材に挑んでいる。若い人がうっかり書いてしまいがちな粉飾された言い回しも目について、初めのうちは「文学にかぶれた人が文学のイメージをなぞって書いたまがいものかも知れない」と疑ったが、読み進むにつれ、文学には溺れてもシリアスな題材には決して溺れまいという、小説を書く者としてまっとうな意思が感じられて来て、見方を改めた。

選評前半部には完全に同意なんですが、後半部の「読み進むにつれて」以下は僕はまったくそう思えません。題材というか話を構成する柱として、狂った母親と介助する息子のペアが出てきますが、それとどうかかわってくるのかわからない執拗な食べ物の描写があったり、突然ことばづかいが崩れたり。結果全体がとっ散らかりっぱなしで、一篇の小説を作るというよりも、ことばを小説風にいろいろ書いてみることに書き手一人が耽溺している風にしか受け取れませんでした。ぶつぶつ文句をいうばかりでも仕方ないので目につくところを引用します。

バスの中でも手を離さず、また言葉を掛け合うこともないこの異様な親子は、歩きだしてしまうと言い難い迫力で何者の目線も打ち消すが、当の息子は他でもない自分の内側の視線に焼かれる思いだった。スマートフォンの電源が勝手に起動し、その三百人の目線がシャツの内ポケットから皮膚を走り、やがて母の手を砂糖に群れる黒蟻のように覆ってしまう気がした。(p.73)

SNS上で息子がフォローしている人たち三百人のつぶやきが目線となって母の手を砂糖に群れる黒蟻のように覆ってしまう、というのが何を言いたいのかさっぱりわかりません。ネット上の書きこみをあえて「目線」と視覚的に形容しておきながら別の場所では

SNSで、果たして誰の声を聞いているのか確信が持てない。お気に入りのユーザーも居ないうちに、誰かが引き継いできた見知らぬ誰かの声を伝に、次々とその誰かの発言を耳に入れるようにしていった。フォローを返してくれるのはごく希で、自分の声を聞こうとしているのは百人にも及ばない。(p.75)

と「目線」なんていっちゃったことはすっかりなかったことになっている。あるいは食事介護をする場面。

呆けている母に、無理やり朝食を与えねばならないのは苦痛だった。歯の力が弱いくせに、堅く焼いたクロックムッシュ以外は嫌がり、絶対に口にしない。(pp.80-1)

とあるのにそれより前のページでは

洋が料理番だった。粗末なスープや簡単なサラダを作り、銀の匙で口元にまで持っていってやった。(p.74)

とクロックムッシュ以外もちゃっかり口にしています。ところで口元「にまで」とはどういうことでしょう? こういってしまうと、口元にもっていかなくてもいいものをあえて口元に持っていったという強調の意味にとれてしまいます。普通に「口元まで」じゃだめでしょうか。

こういう矛盾した表現や常識的に考えてそれはないだろうという設定が随所に出てきます。もしこれが一人称語りならば、認知の狂った人物あるいは狂人の語りとしてうけとる余地もなくはありませんが、本作は三人称小説です。書き手である守島邦明の言語感覚が腐っているとしかおもえない。地の文を語る語り手が狂ってしまってはどうしようもありません。こうして、書き手への信用が読み進むごとに下がって行くと読む文読む文にいちいち躓きを覚えてしまいます。もう間違い探し状態。

むこうは一瞥さえせず、ぞっとした冷たささえを感じさせられた。(p.73)

サ行の音が重なりすぎて突っかかってしまいまず音がダメです。とても読めない。「を」もいらない。あえて受け身にする必要もない。

母は実の息子以外から触れられることも拒んだ。

この前後を読んでも、触れられること以外に何を拒んだのか記述はありません。よって「も」は不適切。

チャーグ博士とシュトラウス博士という笑ってしまいそうなほど語呂の良い名前(p.76)

特に語呂がいいわけではない普通の名前です。笑ってしまいそうなほどといわれても書き手一人が面白がっているだけであって、全く、全然、ちっとも笑えません。細かいおかしな表現は他にいくらでも見つけられます。

こういう自意識過剰というか、書くこと自体が楽しい時期というのは若い書き手にはよくあるはずで、そういう時期に書かれたものははあくまで抽斗の中にそっとしまっておくべき若書きの文章です。自分で書いていろいろ試してみて、「これはわたし独自の表現だ」と得意になっていたところで百年前の小説をよんですでに同じような表現形式がなされていたことを知る、そして自分の無知を知る。そういうもんです。たんなる世間知らずのチラ裏です、チラ裏。よってこの作品で連発されるおかしな日本語は、他人の目に触れさせてはならない、時間を隔てて振り返ってみれば黒歴史ともなるような文章です。書き手としてこういう時期を通っておくことは必要かもしれませんけれどもとうてい他人に読ませられる文章じゃない。

こんな作品を読んで「○をつけた」なんていう選考委員の言語感覚を僕は信用できなくなりました。吉田修一によれば「逸材」とまで言われるこの書き手を、僕は今後読みたいとは思いませんが、これだけ貶した行きがかり上、授賞後第一作まではちゃんと目を通そうと思います。逸材とは他の人より抜きんでている才能を持っている人のことを言います。書き手一人が自分の才能に満足してしまうだけではなくて、僕のような馬鹿な一般読者にも分らせ、満足させてやれるくらいのしたたかさで書かれた次回作をぜひお願いします。しっかしこりゃ二度と読みたくないなあー(笑)
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