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田中慎弥「夜蜘蛛」

出典:『文學界』2012年6月号
評価:★★☆☆☆

田中慎弥の小説を読んでいつも思うのはどうしてこの人は不穏なモチーフ(暴力、自殺、悪意)ばかりを取りあげ続けるのだろうという素朴な疑問です。別に取りあげることに何の問題もないのだけどこれだけ一貫していると強いこだわりを感じざるをえず、そのこだわりの根っこを知りたくなって著者自身についても興味がわいてきます。

山口県下関市出身。4歳の頃に父を亡くし、母親と二人暮らしで育つ。中学生頃から、父の遺した蔵書に親しみ、司馬遼太郎や松本清張の作品を愛読する[1]。また、母に買ってもらった文学全集も好んで読み、特に川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫の作品を愛読した[1]。その後、山口県立下関中央工業高等学校に進学した。高等学校を卒業後、大学を受験するも不合格となる[1]。それ以来、アルバイトも含め一切の職業を経験せずに過ごした。有り余る時間の中で本を読んで過ごし、特に『源氏物語』は原文を2回、現代語訳を3回の計5回にわたって通読した[1]。

wikiより。うーん、とりたてて不穏なモチーフにつながることもないような(笑)勝手な想像でどんどん埋めることはできなくはないですが(父親を幼い頃に失っている云々)、しかしそれが不穏なものにつながるには弱すぎるというか、それこど父親を幼い頃になくす人って私の周りにもたくさんいるけれど別に不穏なことは言わないのでいくらでも反例をあげることができるので、自伝的な事実と作品とを短絡的に結びつけるのは自重すべき事柄だろうと思います。

と、前置きは長くなったけれども「夜蜘蛛」。とりたてて印象に残るところはなかったです。不穏度は薄められていて、小説家のもとに届いた手紙をそのまま掲載するという体の作品です。戦争で従軍して足に敵弾をうけて帰って来た父をもつ息子からの手紙を小説家である語り手が受けとって…というしかけですが、小説家自身の意見は付言程度の最小限にとどめられ小説家が手紙の送り主の言っていることの真偽をあの手この手で追及するようなこともせずしごくあっさり対応しているため、作品の大部分をしめる手紙の内容をそのまま(真偽不明の)お話しとして読むだけ、でした。

手紙文のなかでは何度か「私(=手紙の書き手)の推測まじりです」とか「関係ない記憶や物語と混ぜこぜになってしまいます」とかあるので書かれてある内容の真実性も怪しいことは示唆されますが、別に真偽を確かめられる手がかりがあるわけでもない(手紙の受け取り手の作家の対応はほとんどなんもしない)ので、もうほんとずっと手紙の語り主の語りにずっとつきあわされる感じ。うんざりしました。

そして手紙の書き手が推測混じりだとかなんとか言う割にその父親個人の体験について非常に込み入ったことまで詳述しちゃうので、手紙の書き手のうそっぽさが滲みでてしまって物語に入りこめませんでした。うそっぽい人物という設定ならそれでいいのだけど嘘っぽさを証立てるようなヒントを、たとえば手紙の外部から小説家が挙げておくとかしてくれないと、結局うそっぽい人物かどうかもあやふやなままでもやもやしか残りません。これもうんざりしました。

こういうもやもや感がそのまま放置されているのは詰めが甘いのだろうと思います。ディティールのアラも目につきます。手紙の書き手は自称戦中世代と言っていますが、戦中まだ幼かったことを考えるとむしろ戦後民主主義教育をもろにうけて育った戦後世代でしょう。手紙の書き手の父が死んだ理由として、書き手がその父親と乃木大将とを重ねる発言が挙げられますがこれも雑すぎる。殉死というワードでしか結びつかないものの、乃木大将と明治天皇との関係は、手紙の書き手の父(たんなる一兵卒)と昭和天皇との関係とは全く別物であるはずです。もし自殺の動機になりうるのであれば似たような事例が他にいくつかあってもいいはず(従軍経験のある人間が昭和天皇の死とともに自殺する)ですがそれはきいたことありません。また肝心の「足」にまつわるエピソードもどこか隔靴掻痒の感じをうけてしまって、蜘蛛の足の話と父の足の話とがうまくつながっていない印象も受けます。総じて、詰めが甘いうんざりさせられる小説でした。
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