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黒川創「深草稲荷御前町」

出典:『新潮』2013年12月号
評価:★★★☆☆

新聞でもネット上でも日本と韓国の関係、とりわけ歴史認識の違いについては毎日目にします……ですが、僕はそれほど関心がないトピックなので、こと歴史については専門家の方たちで実証的に論証できるところは論証して、証拠がでてこないところは「証拠ありません」でいいんじゃないかと、完全な傍観者スタンスです。なので、この小説を読んで最近話題になっていた通名について知れただけでも読んだ価値はありました。ただ一篇のストーリーをもった小説として面白かったかというとさほどでもなく、小説よりむしろ教育映画、あるいは小学校のときに体育館で鑑賞した人権意識啓発映画(部落差別もの)を見終わったような読後感をもちました。「おっしゃる通りなんだけど『差別はいけないことだ』って、いわれるまでもなくあたりまえじゃね?」

喫茶店のマスターをしている在日三世の語り手トオルが、現在と過去を生き来しながら自分のルーツと半生を振り返る話です。過去を振り返る際に、自分の出自にまつわる葛藤や苦難が語られます。ただし、苦しい辛い思いでばかりではなくて時折コミカルなエピソードも入ってくる。

 岩本とは、お互い、長い学ランに、タックが三つ入っただぶだぶの学生ズボン同士で、すぐに「イワ」「トオル」と呼び合う仲になった。
 隣のクラスの新島健太は、長髪で、自分から見て、よくわからない風体だった。不良なのか、ずぼらなだけなのかも、わからない。
 とりあえず、
「メンチ切りに行こう」
 ということになり、昼休み、隣の教室の入り口に立って、弁当を開きかけている新島健太を二人で睨みつけていた。(p.17)

井筒監督の映画みたいですよね、これ(笑)。「とりあえずメンチ切りに行く」という発想が直情的な不良文化をうまく伝えて笑えました。

あとは通名について。

 西山徹。それが、彼の名前である。階下の小さな玄関口の表札には、
《西山徹・由紀子・悠太・梨花》
 と書いている。
 だが、当時の彼は韓国籍で、ふだんは使うことがなかったが、「金」という本名もあった。つまり、「西山」という日ごろ使っている名字は、いわゆる通名なのだった。
 日本人の坂田由紀子と、韓国人の「西山」という金徹が結婚しても互いの氏(姓)は変わらない。国籍も。坂田由紀子は「坂田由紀子」のままで、金徹も法的には「金徹」のままである。生まれてきた子供たちは、日本と韓国の二重国籍になり、二二歳に達するまでにどちらかの国籍を選ぶ。いまのところ、日本国籍を持つ者としての彼らの名前は法的には「坂田悠太」「坂田梨花」である。
 とはいえ、ふだんの暮らしでは、徹が使ってきた通名にもとづき、
《西山徹・由紀子・悠太・梨花》
 なのだ。
 それなのに、役所などからの郵便物は、この母子に対して、戸籍通りに「坂田由紀子」「坂田悠太」「坂田梨花」宛てで送ってくる。トオルには、届け出ている通名にもとづき「西山徹」宛てで送られてくるにもかかわらず。(p.31)

かなり説明的な文章ですが、読者は通名がなんなのかについてそれほど知識のない人(僕ふくめ)も多いと察せられるので仕方ないんでしょうね。

いったんは妻側の親族の反対を押し切って結婚した二人でしたが、戸籍上の名前をめぐるいさかいから離婚してしまいます。このエピソードを、「在日朝鮮人であることによって家族が引き裂かれた悲劇」と捉えることも間違いではないにしろ、その悲劇性の強調だけが強いトーンで語られてしまうと、他の側面を見えなくすることもあるのかもしれません。他の側面というのは、たとえば無知な僕だからこそパッと思いつくんですが、「じゃあ他の外国人と同じように、本名で活動したらいいじゃないか」というもの。通名なんてややこしいものなくせば、名前からくるいさかいは自然消滅するんじゃないでしょうか。その根っこの部分に、日韓双方の国からみた歴史の違いとか、被害者感情までが絡んでくるので、ややこしくなってしまうんでしょうけれど。名前をめぐるいざこざに限らず、在日朝鮮人だから不利益を受けたのか、たんなるパーソナリティのせいで問題がおこったのか、あるいは国籍なんかはかんけいない生活環境に起因するごたごたなのかを、いちどゆっくり解きほぐしてみないことには、ずっとこのままなんだろうなあ、これ。

全体を通して、確かに出自からくる不利な扱いは無視できないとしても、在日朝鮮人の人びとの暮らしは、けっこう日本人の暮らし、戦後の下層階級というか庶民階級と似通った暮らしでもあったんだなと思いました。在日朝鮮人についてはとかく差別(あるいはそれを反転させた「特権」)の文脈で、つまりいずれのベクトルにしろ「日本人とは質的に異なるんだ」という語られ方のなかで描かれるイメージがありましたが、これを読むとそうでもないんだなとも思えました。もっとも、この小説で扱われているのは京都のとある在日朝鮮人三世の人生であって、さまざまな地域、経済状況で暮らしてきた人々がいるはずなので一般化は慎まねばなりません。結局、より細かく相違と一致について見ていきたいなら、オーラルヒストリーをふくめた広い歴史研究を参照しなければならないんでしょうけれど。ただ、いまの僕のように、在日朝鮮人についてあまり深い知識を持たない人間にとっては、その現代史の一端を知れてよかったです。
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