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若合春侑『腦病院へまいゐります。』

出典:若合春侑『腦病院へまゐります。』(文藝春秋・文春文庫・2003年)
評価:★★★★★

1998年の『文學界』6月号が初出。時代は昭和一桁年代、カフェの女給がええとこの坊々に手篭にされ変態性交に溺れた記録であり、一通りの出来事の後とうとう「腦病院」へ送られることになった女が「おまへさま」に宛てて書き綴った狂気のラブレターです。僕は変態が好きです。

 おまへさま、まうやめませう、私達。
 私は、南品川のゼエムス坂病院へまゐります。苦しいのは、まう澤山だ。(p.9)

僕は変態が好きです。

一遍結婚してゐながら家内に留まるのが厭で厭で職業婦人になりたくつて、緣有つてお春婆樣にそろばん勘定の腕を見込まれ職業持った私の事をおまへさまは詳しく知らないから、結婚しそびれたかロクな男に遭ってない無學な上に育ちの惡い不幸な女だと決め込んで「可哀さうだ、貴女は可哀さうな女だ」と餘りにも同情する、私は本當の事を益々云ひづらくなり、だけども氣丈で不遜な誇りが同情されるのに腹立てて、私の事を胸の内から好きでもない癖に何でかうして座布團附き合はせて座つてゐるのかと情けない氣持ちになつたりして、なのに直感ひらめき、あア此の人とずうつと一緒に生きて行けたら佳いのになア、と密かに思へば座布團がずんずん寄って行き、嘘をついても座布團、體は正直で端から諦めざるを得ない出遭ひが恨めしく複雜感情抑へ切れずに泣いて仕舞つたんだ。「さうぢやないよ」隣の部屋に私の泣き喚きが聞こえまいかと、おまへさまは掌で嗚咽の私の口塞ぎ、さうして其の儘布團の上に倒れ成るやうに成つて仕舞つた。「中に出しても好いのよ」(pp.14-5)

僕は変態が好きです。

 おまへさまを忘れようと胸の奥から體の芯から緣を切らうと私は他の男と交はつた。「此れは凄い、あア好い具合だ、堪らない、此れぢやあ男が先に行くのも無理はない」私のをさう褒めた男が有つて拔き插しの途中にふつと緩めたらぴゅうつと鐵砲水一本噴き出した。びつくりして「なアに、今のは」と左耳に掛かつた水を拭いていたら「おまへの助平なまんかう水だ」と男は大笑ひした。(p.19)

僕は変態が好きです。

此の世にどうして藝術といふものが生まれたかは、生まれ持つて強く大きく過敏に感受する氣性の人が、湧き上がりトグロ卷く感情の種を自分の内側に閉ぢ込めて置けず宥め切れず體の外に出さずにはゐられないから、さういふ自分自身を救ひたくつて形有るものをこさへる、呻き乍、吠え乍、苦しみ乍、自分を救ふ代りに種を吐き出す、芽が出てすくすく育つて咲いた其のモノが藝術、命の宿る花を觀て嫌な氣分になる者はゐない、だから一度は造り手といふ誰か一人を救つたものは結果として、讀む者、觀る者、聽く者を救ふのだらうと私はナントナク思つたものだつた。(p.24)

僕は変態が好きです。

風呂場でおまへさまが私の體を大事に大事に洗つて呉れて目と目を合はせ、幸せと云ふのはこんな氣持ちかと確かめ合ふやうな、まるで風呂場に天使がたつた二人だけでゐるやうな、ぬくぬくした小天國の最中、片手を後にやつたおまへさまがひよいと寶物を差し出す仕草で掌に載せた、灰色と茶色とが混ざつた色の、硬そうで軟らかさうなほんはりと蒸氣のたつた二寸程の丸い棒狀の塊を、私はあんこ菓子でも戴くつもりになつて、戴きまアす、と笑つて會釋(えしゃく)しながら喰べちやつた。今朝かゆうべのおまへさまの獻立は何だらう、何を喰べたのかなア、コーヒーの香りが少しすると思つた。まうひとつ出した短めの塊は、湯で溶かしておまへさまが私の顔や體中に塗りたくつた。化粧乳液を染み込ませる丁寧さで全身に擦り込んだ。美容に佳い感じがして途轍もない臭ひとは裏腹に私は喜んで行儀宜しく簀の子に御座りしてゐた。飮み込み切れず口中に殘る甘くて美味しいはずのあんこ菓子は、苦くて臭くて奧齒にくつついて鼻の奥を刺激する後味の良くない菓子だつた。(pp.30-1)

僕は変態が好きです。

谷崎潤一郎はじめ変態文学の滋養を貪欲に咀嚼し消化吸収し残り滓を糞便として排出しまたそれを味わって飲み下しという地道な作業がこの作品の強度と狂気を下支えしています。おもむろにひり出された大便の蒸気に「ほんはり」というこれ以上ない的確な形容をしてみせ、それを涎でも垂らしながら早く食べたいと気ばかり焦る主観で「あんこ菓子」と捉える倒錯した目、挙句口の端についた食べ残しの糞をぺロリと舐め取るかのような茶目っ気を「喰べちやつた」とまぶして結ぶ描写と語りに、僕は谷崎潤一郎を見ます。この一節だけでも震撼しましたが、本作が読者を圧倒するのはこの狂気を持続させているところ。器用な書き手なら数百字程度であれば文体模写できる人もいるでしょうけれど、これを1990年代の末に100枚ほどの作品全体にわたって持続するには、書き手自身が狂いながら同時に透徹した理性を保たないと到底達成できない、それほどの難行に思われます。

先日読んだ今年度の文學界新人賞受賞作(奨励賞含めて三作ありますがあえてどの作品とはいいません)とこの1998年の受賞作とを引き比べてみたときにその埋めようのない質的な懸隔は明らかです。僕はどうしても前者の、たいしたこともない文学らしさをさらに劣化コピーさせたような書きちらしが、後者の、血と糞まみれの狂気果てに成った本当の小説と、文學界新人賞受賞作という同カテゴリのなかで扱われるのが我慢なりません。

(追記)パソコンのせいか僕があつかい慣れていないだけか、原文では旧字体になっているものでも引用部では旧字体に変換できないものが多々ありました(たとえば「情」)。著者にはこの点お詫びいたします。書き手の表現欲求と作品の強度に、並のパソコンのテクノロジーが置いていかれているのです。
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