スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

西村賢太「貫多、激怒す──または「或る中年男の独り言」」

出典:『すばる』2014年1月号
評価:★★★☆☆

1月号ということで発売されるのは12月ながら冊子のゴージャスな金色の装いとともに新春作家顔出し掌編特集といったところでしょうか。目次をざっとながめてみて、もうこの「貫多激怒す」の文字が目に飛び込んできたとき即座に「これは卑怯(笑)!」と声上げてわらってしまいました。文字を読んだ瞬間、彼の、ふてぶてしい悪人面が抑えきれぬ怒りに奥歯喰いしめ紅潮して顫えているさまが脳裏を直撃しました。Youtubeで西村賢太がキレる寸前で怒りを抑えているテレビ番組の映像がアップされていたのをいつか見たことあったのでよけいに鮮明な映像として。とるものとりあえず読んでみました。

西村賢太のもとに、深夜の特番出演の依頼がきて、出演者があるお題にもとづきVTRを作るというお仕事の話が前半展開されます。お題は「土下座」と「東京」。掌編小説とあってあらすじ書きのようなもんですがここで紹介してしまうと全部書きかねず、そうなっては書き手に申し訳ないのできになるかたはぜひご一読を。

後半はそのVTR作成と小説の制作とを比較してみるという西村賢太の私小説論。

 これらはいずれも、筋を作っているときは楽しかった。平生は、自らの身辺に材をとったものしか手がけぬ故に、まったくの空想話を考えるのは妙に新鮮でもあった。(中略──引用者)
 が、さてしかし──そのどれもが、小説としては成立し得ないのである。少なくとも私は、この類をバラエティー番組の用途に供することはできても、自分の小説として仕上げようと云う気には、到底なれない。
 やはり、虚しいのである。観念だけでものを述べたり、登場人物をかように都合よく動かす話は、どうで次第につまらない気持ちになってしまうのだ。(p.135)

と、結ばれます。僕は観念だけでつくられたように見える話も大好きな口なのでここの小説観には全面賛成はしないんですが、しかし西村賢太はこういうことを言える資格が十分あるし、彼の作品も彼自身を実験材料にして得た経験がそのままの日常体験駄々漏れではなく、読まれることを意識した小説作品として昇華されていますもんね、。さりげなくこれはすごいことだと思います、彼の小説はいつ読んでも同じようなことが書いてあるにもかかわらず、いつ読んでも新鮮だし、いつ読んでも一定以上の面白さが保証されている!

タイトルにあるような貫多の激怒エピソードはこの掌編中になく、てわけでこのタイトルを内容を反映したものにするならば、「或る中年男の小説論」みたいななんの面白みのないものになるんでしょう。だけど彼の美学からすれば掌編小説の分際で「論」なんて大層なことばを使うことにアレルギーがありそうですし、そもそも「なんとか論」みたいなかしこまった体裁のテキストは全部クソくらえな考えっぽい気もするんで、むしろ内容と一致せずとも、そのタイトルだけで読者の目を引きつけ、出落ちであっても一度はきちっと笑わせることができたわけだから、このタイトル「が」いいはずです。タイトルの副題、「独り言」の部分には他人の同意なんてどうでもかまわない俺はこう考えるんだというふてぶてしいまでの自信を感じましたし、もちろん彼の仕事が「独り言」というつつましい枠にはとどまらない、私小説書きたちならきっと賛同するはずだろう魅力をそなえていることも分かります。それを「独り言」といってしまえるのが西村賢太の粋なところなんだなあ。これぞプロの物書きの仕事ですね。おみそれしました。
スポンサーサイト

コメント

Secret

プロフィール

読む人

Author:読む人
小説の感想を、自分基準で。コメントはご自由にどうぞ。

★☆☆☆☆(面白くない)
~★★★★★(面白い)で評価。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。