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吉村萬壱「ボラード病」

出典:『文學界』2014年1月号
評価:★★★★★

感想を書いていくブログという体裁上、ネタばれ気にせずかいています。本作を未読の方はぜひ本作を読んでから以下を読んでいただけたらと思います。読者を圧倒する問題作です。

この作品を読んだなら、作品の背景に以下のような事情を「当然のように」想定してしまう人が多いはずです。現実の原発事故、故郷から避難して生活している人たちのこと、そして「ただちに影響はない」にしろその後この作品で描かれたような「影響」がでてくるのかどうかという微妙な問題。現実の、生身の、2013年12月時点の日本で生活するなかでこの作品を読む自分という存在が、どうしても作品評価にかかわってこざるを得ない。

今さっき上で不用意に「原発事故」とか「故郷から避難」とか「ただちに影響はない」とかいったおなじみのことばを書きつけてしまいました。しかし作中では、3月11日の地震と津波をきっかけにして起こった原発事故後の話だとは書かれていません。放射性物質、放射能、ストロンチウム、トリチウム、セシウムなどということばもいっさい出てきません。「海塚」という町を舞台にした話ですので日本のどこかという見当はつくものの、B県というのは現実のどの県に対応するのかは手掛かりがありません。さらに作中の手がかりから作品世界の時間を考えていけば、むしろ現実の日本と作品世界との食い違いさえ明らかになります。

30歳の語り手「恭子」が小学校五年生のころ(ということは10か11歳)のころ海塚で過ごした日々を綴る手記、というのが本作の体裁。そのなかで105円を廉価ショップの支払いで差し出す場面があります。「円」という通貨単位からも日本ということがわかり、消費税5%の時代です。避難者が「長い避難生活から戻った(p.37)」のがちょうど8年前とありますから、これは現実の日本とは明らかに時系列が食い違う。原発の町から避難している人たちが戻れるようになるころには現実の日本であればおそらく消費税は8%以上でしょうから。いやそもそも避難生活を余儀なくされた原因が「原発事故」のせいだとは一言も言及がありません(大事なので何度もいいます)。ですのでこの作品の記述に忠実に従うなら、あくまで現実の日本とは関係のない、一編の小説=フィクションの話です。

本作をナウシカの世界観を借りて語るなら、「人間の親から王蟲の子供が生まれた。その子供の認識の仕方は「美しいのは人間の世界であって、王蟲の世界ではない」という認識を持っている。そのために、王蟲の世界で暮らす子供は病者の烙印を押される。小学5年生の途中で隔離病棟にうつされ30歳になるまでそこに閉じ込められ続けた子供は、自分の認識のどこが(王蟲的世界観からみて)間違っているかを書かされ続けている。しかし自分のもともとの認識を自己批判しきれず手記は挫折する」という風になるでしょうか。入り組んでいてややこしいですが丁寧に読めばこうなる。ナウシカを知らない人は王蟲を「化け物」にでも読み変えてください。

だからこの作品には、対立する世界観を持つ二つの人間像が出ています。海塚以前の人間、もう一方は海塚以後の人間(比喩的にいえば王蟲あるいは化け物)。前者が「正しい」「善い」「美しい」と認識するものが、後者の目にはそっくりそのまま顛倒されて映る。そしてこの作品の語り手恭子は、後者の外貌でありながら、価値観や認識の仕方は前者のものを持ち続けている。しかし隔離されている状況から脱出するためになんとか自分の認識の仕方を抑圧して、後者の認識=世界観を肯定するような手記を書こうと努力している。この「よじれ」を一篇の小説として破綻なく結実させた本作には震撼しました。

自分の認識を抑圧して、自分にとっては正しくない世界観を、さも正しい世界観であるように偽装して記述する「私」こと恭子の困難を以下の文章で味わってみてください。

母の入院中に、私は野間さんの家で三度、夕食を食べさせて貰っていました。野菜炒めや、しゃぶしゃぶや餃子やサラダ、そして何よりほかほかのご飯とお漬物など、どれも美味しくてほっぺたが落ちそうでした。食べるということは、子供の心にとても大きな作用を及ぼすものだと思います。母が退院してから、母の出す「安全な」食べ物を少しも美味しいと思えなくなっていたのです。安全と言っても、結局カップラーメンや輸入缶詰など、健康に良くないものばかりでした。(p.67)


「私」の母親は、海塚以後の世界観に染まらぬよう細心の注意を払って娘を守っていました。しかし入院して娘と離れてしまうと、海塚以後の世界観をもった野間さん一家が娘をとりこんでしまう。野間さんの食卓で供された野菜や肉や米はどれも地物だと推定されます。つまり何らかの汚染を被っている、それを「美味しい」とか「ほっぺたが落ちそう」と記述するわけです。

海塚の海産物はどれも美味しく安全であるということは、どんな場合にも態度で示される必要がありました。それが海塚市民の結び合いの実践というものでした。(p.59)

海産物もそう。町ぐるみで海塚産の食べ物を「安全だ」とアピールしないといけない。ということは当然、そのアピールが必要とされる事情が海塚の食品にはあるということです。また、ここで使われている「結び合い」ということばの威力。「絆」とか「つながり」ということばには、その絆の共有する価値観には反対を許さないといった、嫌らしい同調圧力があります。恭子はここでもこの「結び合い」の精神を肯定的なものとして書こうとしつつ、しかし言葉の裏にはそんなもの欺瞞だ、虚偽だという意識が伏在している。

海塚の町ぐるみで、「海塚以後の価値観こそ正しい」とする一種の思想教育ないしは洗脳が実践されています。そのイデオロギー装置となるのはやはり学校であって、小学校でも合唱やスローガンの唱和を通じて、海塚以後の価値観が注入され続ける。恭子の、海塚以後の価値観に染まらない考え方をこっそり尊重してくれていた藤村先生が担任を外されると、クラスのスローガンも書き換えられます。

まるで藤村先生の影を払拭するかのように、「五年二組の十の決まり」の「七 自分の感覚を大切にしよう」を「七 自主性をそん重しよう」に書き換えさせたりもしました。(p.45)

都合よくスローガンを書きかえるなんてオーウェル『動物農場』の世界です。そしてこの手記では、恭子の同級生たちの外貌の「異様さ」はほとんどそのままは記述されませんが──恭子の目に映ったままを写実的に記述してしまえば隔離病棟から出られない──、おそらくは人間の外貌というより「動物」ないしは「化け物」のそれのようになっていることを読み手が推測してみれば、『動物農場』が先行テクストとしてだけでなくメタファーとしても機能します。

こうして隔離病棟でひたすら海塚以後の世界観を肯定するよう自分を矯正する恭子は、やはり最後の最後、自分の認識の仕方のほうに立ち戻ります。自分を隔離した「人間」たちに罵倒を浴びせる。

こんな顔でも、あなた方には美人に見えているんでしょう? だったら抱いてみろよ臆病者。(p.79)

恭子を抱けないところに、隔離した「人間」たち側の欺瞞を見て取ることができます。

一貫して認識の顛倒が隠されている本作の記述は、「美しい」といった瞬間そのことばの価値がひっくりかえる、「正しい」といった瞬間そのことばの価値がひっくりかえるという経験が続き、読みの中で自分の価値観が一つ一つ掛け替えられていくのを実感できました。ひとつの世界を通じてモノの見方をがらりと転換させるのは力のある作品の証拠です。

何度もいいますが本作は原発事故や放射性物質の影響を描いた作品とは断定できません。むしろそう「誤読」してしまわぬよう齟齬を周到に用意している(タイトルからして「ボラード病」です。一種の奇病ものといってもいい)。2013年の現在、迂闊な読みによって「誤読」のみに収斂してしまえばきっと、本作は感情的な反発を招くか黙殺されてしまうかの、いずれにしろ不幸な受け取り方をされてしまいかねません。本作の真価が定まるのは、人々が現実の出来事をある程度冷静に見られるようになる時間か距離をおいてからでないと難しいかもしれません。

けれど2013年の現実の強い磁場にからめとられている自分を自覚しつつ読み手が真摯にこの作品に書かれてあることと向き合ったとき、本作は時事性を備えると同時に普遍的な読み方への扉も開いてくれるとわかるはずです。価値観とは何なのかをテーマにした呪われた芸術家ものとして、あるいは思想教育を描いたディストピアものとして。SF的設定で差別問題をあつかった作品として。どういう読み方にせよ、つまらない「誤読」のみで本作を曲解し、貶めることには慎重でなければなりません。同じ文章でも、本作の書かれつつあるフレームを知る前と知った後とでは、その記述のもつ意味合いがガラッと変わって読めてしまいますんで、絶対に、二度読み推奨。

(追記)本作にはぜひ何かの文学賞をとってもらって問題提起の種になってほしいです。が、「誤読」の危険度が高いと、どれだけ本作に力があろうと文学賞みたいなイベントとは縁遠くなってしまうのかなあ。出版社が及び腰になってしまうというか、リスク回避したいというか。「誤読」しかしない人からクレームくるとめんどくさそうですしね(笑)。要らぬお世話とは自覚しつつ、吉村萬壱本人が呪われた芸術家みたいになってしまわないよう願っています。賞をとろうがそうでなかろうが、本作は間違いなく傑作です!
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コメント

Secret

No title

初めまして。

このブログをいつも楽しみにしています。

珍しく評価が星5の本作品が、昨年のオススメの一位にも選ばれており、すぐに買って読みました。

まだ一読しかしておりませんが、恭子が世界に同調して行く場面に、とても悲しくなってしまいました。

素晴らしい作品の紹介をありがとうございました。
もう一度読んでみます。

Re: No title

コメントありがとうございます。

「ボラード病」はディストピアSF的設定ながら頭でっかちの作品では決してなく、しっかりと胸にささるものがあるんですよね。「絆」ということばが含み持つ欺瞞を小説で撃てるのは吉村萬壱の批評眼と筆力あってこそです。再読・再再読すると、初読時とは全く違った世界が見えてくるはずです(たとえば赤ちゃんの口元に目をやる場面)。ぜひ何度もじっくり味わって、ささやさんの周りの方にもどんどん薦めてください!
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