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平野啓一郎「透明な迷路」

出典:『新潮』2014年2月号
評価:★★★☆☆

新潮社の推す書き手のなかで、僕が面白いとちっとも思わない三大書き手は、古川日出男、佐藤友哉、平野啓一郎。純文学雑誌に作品の掲載される書き手でいえばこの三人は他よりもきっと売上は悪くないはずなのでそれぞれにフィットする層がいるのだろうと推測します。前二者は読んでくそ面白くないと絶叫すること再三再四だったので僕にとっては今や題名だけのライターと化しています。けれど平野敬一郎だけは作品の背後にインスピレーションを受けた小説、映画、芸術作品や、素材となった資料の痕跡が感じられるので、作品に取り組むその真摯な姿勢から「今までは面白くなかったけど、今回はもしかすると面白いかもしれない」という期待を捨てきれず、なんだかんだで読んではいます。読んではいるのだけど読後はきまって「うーんいまいち」とか「うーん普通」という感想に着地します。このソリの合わなさをもやもやしつつ考えてみても一向に納得のいく説明はつきません(笑)。

今回読んだ「透明な迷宮」も、とりたてて悪いとは思わないものの、目次の煽り文句「著者最高傑作短篇」というほどのものかなあと疑問は残ります。ちなみに雑誌新潮のツイッターでは「著者最高傑短篇」という脱字で告知されています。ケツ短編!

作品の構成は短編として面白く読めました。双子ネタも手垢にまみれているとはいえ素直な驚きがありました。けれど不満を覚えたところも少なからずあります。まず作品冒頭

 その天井の高い、黒一色の部屋で、彼らは全員、全裸で蹲っていた。男女六人ずつ計十二人がいて、日本人は岡田とミサだった。(p.8)

と特異な状況が読者の目に飛び込んできて一気に作品に引き込まれます。

部屋の壁は、薄いレザーのような光沢の黒に覆われている。やはりネオ・バロック調の白い大きな鏡があり(中略──引用者)一枚だけ、部屋の中央に濃紺の絨毯が敷かれているが、誰も近づこうとはしなかった。(p.8)

と部屋の内装の説明が続きます。ここで僕は「?」となりました。第一文目で「黒一色」といっておきながら、調度の色は「白」だったり「濃紺」だったりして、黒以外も使われています。ここまで読んできても同じ状況を説明しているはずなのですが、記述が矛盾していてよくわかりません。意図的だとすれば、同じ部屋に見せかけられた、その実よく似た別々の部屋(もしくは同一の部屋でも時間を隔てた部屋)かもしれない、と思って警戒してそのあとを読んでいきました。結局同じ部屋なんですよね、これ。書き手が迂闊なだけです。作品の初めくらいは気を使ってほしいものです。

また作中で使われる単語は「そこまで細かい情報必要か?」と思わせる記述で読み進めるときのノイズになっています。この作品は三人称岡田視点であるので、語り手が全面に突出してしまうととたんに語り手とほぼ重なるかたちで平野啓一郎が読者の脳裏をよぎります。いちいち引っかかる。たとえば、

取引先で教えてもらった、レヒネル・エデンによる独特のアール・ヌーヴォー様式が美しい郵便貯金局(p.9)

ハンガリー語は、インド・ヨーロッパ語族ではなく、ウラル語族のフィン・ウゴル語派に属しているらしいが(p.10)

EUのシェンゲン協定加盟国には、「最初の入域の日から6か月のうち最大3か月の間」しか滞在できないという決まりがあり(p.11)

という感じ。読み手の共通理解としてレヒネル・エデンやフィン・ウゴル語派やシェンゲン協定が当たり前だとはちょっと思えません。平野啓一郎が、これらの単語を読んだだけで「ああ、あれね」と了解できるようなレベルの読み手に向けてこの作品を書いているのならそれはそれで構わないと思います。これらの単語がどんなもの、人、事柄を意味しているのかイメージできない層は確実に作品世界から疎外されていくはずです。

一回ごとに、BGMが指定された。シュールホフやウルマンの弦楽四重奏曲、それに、メシアンの《世の終わりのための四重奏曲》を岡田は覚えていた。タキシードの男がショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲第十一番のスケルツォを指定した時だけは、なぜか見物人全員が吹き出して、しばらくハンガリー語で何かを議論していた。(p.14)

メシアンやショスタコはまだしも、読者の頭の中でシュールホフやウルマンは鳴ったでしょうか?いや、これもシュールホフやウルマンの弦楽四重奏と聞いて「ああ、あれね」と分かる読者に向けて書いているのなら問題ないです。

ちなみにウルマンの弦楽四重奏三番はこんな感じ。好きな曲です。
Eufonia String Quartet - Viktor Ullmann - Quartet No. 3】(注意:音が出ます!)

これらの引用部をはじめ、本作でつかわれていることばは全体的に小説のことばというより、単なる情報断片のコラージュあるいは説明になっている部分が多かったように思います。手元に辞書とインターネットにつながったパソコンがあれば楽しめる小説でした。平野啓一郎は小説というよりは、評論とか作品解説とか書評のほうが向いている気がするのは僕だけでしょうか。

(追記)突然降ってわいたように納得できたのは、この作品の読者として想定されているのは、2014年時点の今この作品を文芸誌上で読む日本語母語読者ではなくて、それよりも後々もし「透明な迷宮」が外国語に訳されることがあるとすれば、その時点でこの本をヨーロッパ諸語で読むことになる、ヨーロッパ在住のまだ見ぬヨーロッパ諸母語読者だということ。そう考えると僕にはトリビアに思えた部分のいちいちも断然「アリ」だと腑に落ちました。小説界のグローバル人材平野啓一郎!
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