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中原清一郎「カノン」

出典:『文藝』2014年春号
評価:★★☆☆☆

変身をテーマにした文学作品は枚挙にいとまなく、変身の原理についても時代時代で神様の仕業、魔法、幻想、夢、錬金術、変態性欲、抑圧されたもう一人の自己、理由のない不条理まで様々です。変身の原理に近未来的なテクノロジーをもってくれば攻殻機動隊のようなサイバーパンクができあがる。本作はこうした古今様々繰り返されてきた王道といっていいテーマを、「海馬の移植」という医療技術の進歩で説明します。もっとも、本作の主眼は医療技術そのものの探求によりもむしろ、海馬移植に伴う当事者の葛藤、周辺の人間関係の変容、移植後の自己の在り処などにあります。社会の倫理ともぶつかるテーマだけあって650枚という長編作品です。

題辞にある「海馬」は本作の扉を開く鍵ことばです。

海馬【かいば】③(hippocampus)脳の内部にある古い大脳皮質(古皮質)の部分。その形が、ギリシア神話の神ポセイドンが乗る海の怪獣、海馬(ヒポカンポス)の下半身に似ているのでこの名がある。情動の発現およびそれに伴う行動、さらに短期記憶に関係し、種々の感覚入力に応じて時間空間情報を認知し、一種の統合作用を行う。アンモン角。海馬体。(「広辞苑」)(p.76、括弧内はすべて原文)

海馬の提供者と被提供者が本作の主人公。いわばダブルキャストで、作品タイトルにもあるように一種のカノン、別々の声部が追いかけっこするようにして一つの音楽的調和を生み出していく手法によって二人が一人の人間として「カノン」という小説を紡いでいきます。

全体の感想を先に書いておけば、序盤は丁寧で期待度が高まったんですが中盤から後半は安易な方向に流れてしまって残念でした。もっとも、読者の関心によっては序盤よりも中盤後半のほうが楽しめる人もきっとおおいはず。いずれにしろ序盤と中終盤でのテイストにズレがあるように思いました。

序盤は当事者や家族のたち思いをそれぞれ丁寧に掬い取るように描いており、また移植に伴う法律や専門家たちの議論も門外漢である読者にも分かりやすく書かれていました。それらを踏まえたうえで移植後の頭と体とを「渚」の比喩で説明する部分は読者の感覚的な理解も促してくれる出色の個所です。以下は海馬提供者の寒河江北斗という男性(58歳)と、提供者被提供者間のやりとりをとりもつコーディネーター黒沢との、移植前の会話です。

「心って、いまの科学では、脳にあることが分かったんじゃないのですか?」
 ようやく疑問形でそう寒河江が黒沢にいうと、黒沢は小首をかしげた。
「そうでしょうか。心って、渚みたいなものではないでしょうか」
「渚?」
 寒河江は思わずそう聞き返した。
「そう、渚です。一方には頭があり、他方には体がある。海と陸のように、そのふたりが出会う波打ち際です。ふだん私たちは、頭が身体を支配していると思い込んでいる。でもそれは、長い時間をかけて、頭と体が馴染むようにしてきたからだと思うんです。もし脳が、別の体と結びついたら、そんな穏やかな静けさは続きません。海は怒り、大きな津波になって岸辺に押し寄せるかもしれません。そうすれば、波打ち際の静けさは打ち破られ、心はかき乱されることでしょう。でも、もしそこでじっと耐えれば、きっとまた渚に穏やかな平和が訪れる日が、いつか、やってくるんだと思うんです。そのとき、新しい陸と新しい海は、またひとつの静かな凪の風景になるような気がするんです」(p.85)

「波打ち際」なんてワードは松浦寿輝を歓喜させることでしょう。とここは松浦氏は関係ないのでおいておくとして、この渚のイメージがありありと読者の頭のなかに刻み込まれるだけではなく、手術前のこの会話がこれからはじまる物語の予告になっているんですね。移植後きっと波打ち際は荒れるだろう、その荒れを乗り切った後に静かな「凪」がやってくるだろうという。

一方、海馬提供を受ける女性のほうは氷坂歌音(32歳)という女性編集者です。こちらは寒河江北斗とは逆に、身体は健康ながら海馬が病に侵され記憶力が日に日に弱くなっていく。夫と五歳になる一人息子がおり、残される家族、とくにまだ幼い息子のために移植を決意したというのがいきさつです。

僕が本作に納得いかない、かつ前半後半のチグハグさを生み出しているのは多分ここに一つの原因があるのではないかと思いました。誰しも死ぬのは怖いことだし残された家族のことを心配する気持ちがあるのも分かります。ですが、体の自由が利かなくなった寒河江が海馬提供するというのは臓器移植の延長上に理解できるとしても、歌音はなぜ大掛かりな手術(日本で二例目)を決意したのかが分かりません。いや、上のように一応の説明はあるものの、手術後海馬の被提供者がどうなるかといえば本作によれば大部分が提供者側=寒河江の記憶や人格が歌音の身体を間借りしている状況となるようです。手術後ことばや振る舞いの適応訓練を受けるとはいえ中身はおっさん。そうなってまで歌音は何を残そうとしたのでしょうか、何度考えても分かりません。次の引用部は、移植を終えた歌音(中身は寒河江)が夫拓郎と息子達也の暮らす家に帰ってくるところ。

 だが、その日歌音が帰ってくることになって拓郎は、俄かに胸騒ぎがした。歌音の容姿はそのままだ。しかし新しい歌音のなかに潜み、その記憶を司っているのは、自分の両親に近しい歳の男性なのだ。(p.141)

と夫は不安を抱いています。この不安を裏書きするようにこの後つづく中盤からは、作品のトーンが転調してコメディタッチになります。あるときは初老男性の育児奮闘記であったり、またあるときは初老男性がやり手女性編集者になりすましてファッション誌の営業を担当するキャリアウーマン細腕繁盛記であったり。初老の男性が働き盛りの女性として暮らしていくうえで直面するギャップに、笑いや社会批評めいたものがあるもののとりたてて目新しくはありません。それに、かなり既存の表現に寄りかかっていて通俗すぎるところが、序盤の丁寧で真剣なトーンとくらべると興ざめでした。

たとえば職場で、寒河江の頃の営業知識とコネをつかって業績をあげる歌音に職場の同僚たちが嫉妬する場面。歌音を敵視する同僚女性三人組がワインバーで謀議を重ねるなかで

「そういう訳なのよ。でも、むかつくわ。あの人、優等生ぶっちゃって」(p.167)

なんていうセリフも飛び出します。なんとなく『ガラスの仮面』の北島マヤを妬む劇団員たちの姿を想像しました。僕は『ガラスの仮面』は大好きですし、こういうベタ表現も好物なんですが、序盤のテイストとはどうしてもちぐはぐで馴染みませんでした。ちょっと贅沢をしたくてカウンターのお店で懐石料理を食べていたら、途中で唐突にマクドナルドのハンバーガー出された、みたいな感じでしょうか。マックのハンバーガーも「あー、ジャンクフード食べたい!!」となった時にたまに食べるからうまいわけで、タイミングというものがあろうかと思います。懐石料理のなかにハンバーガーを紛れ込ませるのも現実の懐石料理ではなく小説という創作料理なら「あり」ですが、その力技を成功させるには料理人の高度な詐欺的技量が要求されるはずです。本作はその点、どうしてもちぐはぐ。このあと歌音を陥れるためにライバルの同僚がなりすましの偽メールを取引先に送って職場を混乱に陥れます。すぐにばれそうなお粗末な悪事、のみならず職を失い損害賠償請求されるリスクさえある悪事を働く感覚が僕にはちょっと信じられません。作品にひと騒動おこすためだけに作られた人物、その安易な書かれ方が浮いています。

こんなふうに歌音(中身は寒河江)のまわりで起こるトラブルは絶えません。しかし事態がおおごとになりかけると、「都合よく」歌音の人格が歌音の身体を乗っ取り、事態を収拾します。ここも、ありきたりすぎる表現ですし作品内での整合性も取れていません。ちっぽけな存在に堕したデウス・エクス・マキナのようです。

いや、ピンチにならないときも歌音が都合よく出てくる。次の場面は、歌音(中身は寒河江)が風呂の脱衣所で女性になった自分の身体を眺めている場面。

歌音が自分の肉体をじっくり眺めるのは、はじめてだった。なだらかな肩から、次第に両方の乳房が丸く盛り上がって弾力のある均整な山となり、その頂点で乳首が、つんと上を向いている。乳輪はまだピンク色をして、艶やかだ。出産して腰は少し丸みを帯びてはいるが、くびれはまだ、しっかり締まっている。歌音は次第に視線を下におろし、きれいな三角に広がる秘所を見つめた。そのときだった。
「やあね、やめて。そんな目で見るの。すっかり嫌らしい目になってるわよ、歌音」
 北斗の意識は、確かにその声を聴いた。狼狽したまなざしで思わず周りを見回したが、脱衣所にいるのは歌音だけだった。(p.143)

「やあね、やめて。そんな目で見るの。すっかり嫌らしい目になってるわよ、歌音」なんて三十二歳の女性のことばというより、しなをつくったオカマの言いぐさにしか読めませんが(笑)、とにかく歌音がたびたび出てくるのにはご都合主義以外のことばはありません。ちなみに題辞には海馬は「短期」記憶を司る部位というんですから、寒河江の海馬は、脳の別の部位に保存された歌音の身体を見慣れたものとして判断はしなかったのでしょうか。そのあたりの、短期記憶、長期記憶、言語野やしぐさの記憶が、移植後どう連結されて、どこで葛藤を起こしているのかも、本作では曖昧になっていると思いました。この曖昧さをうまくカバーするというか誤魔化すのが「渚」の比喩だったと僕は思うのですが、現実の世界で歌音(中身は寒河江)が動き始めるとどうしても細かい部分で齟齬がでてしまっています。

結局、本作には、序盤に期待が持てたものの、中盤終盤がテレビドラマか古い漫画の表現に寄りかかってしまったような印象をうけました。中終盤のテイストもそれはそれとして独立しているなら通俗的面白さはあるのですが、僕のように細かいことが気になってしまうような読み手にはちょっとアラが目立ち過ぎました。細部が気にならないとか、齟齬があっても飲み込んで小説の流れに身を寄せることのできる読者はきっと本作を楽しめることでしょう。
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コメント

Secret

なるほどと思いました

はじめましてコメントさせていただきます。

 一気に読み上げることのできた『カノン』ですが、なぜか
違和感のようなもの少し残りました。その違和感がなんなのか、こちらのブログを読ませていただいたことによって、納得しました。
 術後の歌音の生活や感情の揺れの描写は、海馬移植という遠い題材を一気に卑近なものに引き寄せてくれました。と同時に、会社の同僚たちのいじわるやら、カンフー教室で登場したちょっと嫌な親父など、つぎつぎと登場する難敵が、ちょっとステレオタイプだったのかなぁ、これが
違和感につながったのだと思いました。
 それにしても、最近、一気に読み上げたいと思える小説とはなかなか出会えなかったので、作者の筆力はただただすごいなぁと思うばかりです。
小説家を目指しているわけでもないのに、生意気にすみません。
またブログ、拝見させていただきます。失礼します

No title

細かいことを明確にするのはあまりよい手法でないと思います。読む人によって感じる内容が違うので
行間を読み取る楽しみが減ってしまいます。
ノンフィクションぽく書いてありますがこれは小説ですから「主人公がなぜラストで「カノン」といったかとか主人公はなぜ58歳か」というのは私なりの解釈がありますがそれは読者ごとに楽しむべきと
私は思います。私の場合は主人公がなぜラストで「カノン」といったかとか主人公はなぜ58歳かは
ちゃんとした理由があるからこそ歌音が手術を決意したのもちゃんと理由があることがわかります。
作者がこの作品を書いた動機に表れています。
小説では歌音の母や主人公の妻の言葉でできてます。
そのテーマに沿って書かれているから偽メールや
そのたのことは枝葉にすぎないと思いました。
プロフィール

読む人

Author:読む人
小説の感想を、自分基準で。コメントはご自由にどうぞ。

★☆☆☆☆(面白くない)
~★★★★★(面白い)で評価。

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