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松波太郎「東の果て」

出典:『文學界』2010年5月号
評価:★★★☆☆

器用にどんな文体も操りジャンルの枠にとらわれることなく何でも書けてしまう作家と、自分の文体で自分の世界観を展開する作家とを便宜的に区別するとしたら、本作の作家松波太郎は後者の作家ですね。コンスタントに作品を発表していて、どの作品にも脱力系の笑いを誘う人物やエピソードが出てきて松波太郎テイストといっていいかもしれない世界観を展開してくれています。派手さやどぎつさ、極端さのある作品こそ印象に深く刻まれるはずですが、松波太郎作品にはそういう振り切れるところはなく、むしろゆるい、ぬるい、なあなあの、だらだらした、人たちが織りなす世界が展開しているにもかかわらず読後はしっかりと引っ掛かりを残してくれます。落語を聞くのに似ているのかもしれません。この世界を突き詰めると談志師匠の言う「業の肯定」を体現する作品が出てくるのかも。そういうの読みたいです。がんばれ松波太郎。

さて本作もやはりそういうラインで読める作品です。祖母の葬儀に際して熊野の田舎に帰った青年が、長期無沙汰していた父はじめ地元の人たちと再会する話。再開の中でふと、祖母が語ってくれた熊野に伝わる徐福さん伝説がよみがえり、その伝説について青年が調べはじめ、作品世界と伝説世界とかゆるくオーバーラップしもします。

人が日常生活を送る限りでは、自分で自分のことを合理的に考えていると思い込んでいたり、自分の正気を疑ったりはしないはず。松波太郎作品の登場人物にはこういう合理性コチコチの人物っていうのはそんな出てこず、かなり脱線したり、会話の合間に関係ないことを考えたり、そういうところがあって、そんなふわふわしたところを読むとあらためて自分にもこういうとこってあるよなあと考え直して、自分を見る目の幅が広がる感じがします。

「親友のためにポコチン切られた司馬遷ってのが書いた『史記』が、原典や。それが徐福のはじまりや」と補足する。
「中国語ってか、それって漢文ですよね」
 おれはたずねる。
「あ、あぁ」
「読んだんですか」
「おれも漢文得意じゃねかったから……和訳をな」
「和訳は全部読んだんですか」
「全部? あ、あぁ、まあな」
 こいつは読んでいない。おれはおもった。
「なに、尋問もどきのことしてんだよ」ツァと舌打ちをする。(p.66)

久しぶりに再会した父と息子との会話です。父に敬語を使ってしまう距離感。知ったかぶりを追及されてうやむやに誤魔化す父。父の面子を潰さぬよう最後の最後までは追いつめない息子。そして、舌打ちの擬音「ツァ」(笑)。舌打ち擬音は紋切型だと「チッ」でしょうけれど、ちょっと音をずらすだけで新鮮に感じられますし、「ツァ」と言われればそっちのほうが正しいような気もしてきて(よくよく考えれば音写する時点で正しさの基準はあいまいです)、しかも「ツァ」の醸すコミカルな響き。さらっとこういうところが書ける、なんでもないように書いてしまえる松波太郎おそるべしだと個人的には思っています。

あとは、中国に関心があるのでしょうか。他作品でも北京に語学留学行く人の話もあったような(タイトル失念)。谷崎潤一郎が中国には壮大な「お話」があるんだ!と芥川との論争で言っていたような気がしますが、中国語の素養があるなら松波太郎テイストで中国ものの壮大なお話しを読んでみたいです。超個人的な希望。
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