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佐飛通俊「さしあたってとりあえず寂しげ」

出典:『群像』2012年8月号
評価:★★☆☆☆

派遣社員の女の子のお話です。三人称一視点(岸田菜子という30過ぎの派遣社員)で語られるものの、地の文でかなり書き手=佐飛通俊の声が全面にでてしまう印象でした。奥付の著者紹介を見ると、「作家、評論家」とありますし、となれば書き手の声というのは、評論家としての声のことかと納得。

ミッション系の女子大をかなり成績優秀で卒業した菜子、という設定なので小難しいことを考えるというのは一応わかるものの、菜子の周りにある事物や関係についていちいち「これってこういうもんでしょ」「これってこういうもんでしょ」というコメントというかパラフレーズがかなり浮いてしまっています。小説の中に批評的な要素は必要だと私は考えますが(むしろ、それがない小説は読めたもんじゃない。経験上)、それが出すぎると、小説にしなくてもいいんじゃんと思ってしまいます。小説を書くなんてまわりくどいことせずに、素直に評論なり論文なり書けばいい。

作品の背後に透けて見えるテーマとしては、システム化してしまう社会、自由の度合いがどんどん狭くなってしまう現代において、自由の領域は可能か、ありきたりの成り行きを回避することはできるか、という古典的な問いが据えられています。近年の作品だと、諏訪哲史『アサッテの人』が最も先鋭な形で、しかも小説でなければならない形でこの問いに挑戦しましたが、それに比べると本作はどうしても「小説らしさ」がない様子。

上の問いをずらして答えようとするからこそ「アサッテ」というねじれの位置にある概念を持ってくる必要があったわけで、この小説はそういう「ずらし」を全く考えず、真正面から問いにぶつかってしまったことで小説として失敗してしまいました。その敗因は、菜子の大学時代の同級生(彩音)をできるだけ紋切型の人間に造形しておいて、それとの対比で菜子の紋切型から逃れようとする姿を浮き彫りにしようとする仕掛けでしょうか。これだと何か異なる要素を二人の土俵にもってこないと、結局「あれか、これか(菜子か彩音か)」の二項対立から抜け出すことができずがんじがらめになってしまいます。ねじれの位置に向けて、斜めに飛んでいくアサッテの運動力はみじんもありません。

彩音の自殺が、紋切型から逃れようとした唯一の抵抗だったみたいなことも地の文はぬけぬけと語ってしまいますが、自殺というのも現代ではありふれた紋切型になってしまっています。決してそのような哲学的な意味合いは見いだせない掃いて捨てるほどあるような事例でしょう。

本作が挑戦したテーマにたいしてはみごとに回答を出せず失敗に終わっていますが、救いがあるあるとすれば、物語のなかで意外な行動をとった人物が一瞬みせる面白さ、意外さみたいなところでしょうか。事務仕事のOLがラーメン屋に来てまずビールとチャーシューをたのんで「うまい」ともらし締めの一杯はラーメンとともに、というのは紋切型からうまく抜け出る姿でしょう。また、派遣先の嫌な上司として描かれてきた石沢が最後にみせる意外な側面。これにも意外性の種が備わっています。こういうのは細かな点ですが、この細かだけれど書き手の問題関心からすると見逃せないであろう描写を積み重ねた先に、もしかするとさしあたってとりあえずの回答があるのかもしれません。
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