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広小路尚祈「うちに帰ろう」

出典:『文學界』2010年4月号
評価:★★★☆☆

広小路尚祈というとデビュー作のオフビートな調子が僕には印象深かったんですが久々に本作で読んでみると、「自然体」という言葉が似合う作家だと思いました。「お文学」のダサさにはまらない、肩の力の抜けた、文章は読んでいて非常に心地よかったです。ヘタすると、この「さらさら書けている」が「だらだら書いちゃう」に転化しちゃうんですが(後者はお年寄りに多い)、キーフレーズをうまくはさんで作品のリズムを作っていたり、ここぞという箇所で絶妙な比喩を使っていたり、また人の描き方も中心となる人物とその周辺の人間たちの描き分けがさりげなくうまいし、まあとにかく、長くない作品ですがいくつも印象に残る場面がありました。面白かったー。

以下、印象に残った個所。

微笑った美和さんの唇の端と眉毛の尻がきゅっと上がり、鼻に細かい皺が寄った。この皺は、可愛い。皺の寄った鼻梁の中央を人差し指で抑えて、親指と中指で丹念に皺を伸ばしたら、カーネーションが咲くのではないか、と思えるほどに、可愛い。(p.18)

もちろんカーネーションは咲きはしませんが(笑)、可愛さの表現として「カーネーションが咲く」ほどという言い方は新鮮でした。凡庸な書き手なら直喩で「○○のように」と処理してしまいそうですが、「咲く」という動きを伴った動詞(蕾の状態からパーッと花開く)を使ったことで読み手の感情にも動きが出て華やぐことと思います。またカーネーションというのも美和さんという「母」にふさわしい花ですし、カーネーションそのものの可愛さというのは、バラやユリにはないささやかさ、可愛さというのがありますね。おもわず「うまい!」と膝を叩きました。

この腰。この腰につい目が行ってしまうのは、たまに下着がチラリとするからでもある。肝心な部分には最も遠い、腰の辺りの布を見ただけで欲情をかきたてられるほど初心ではないが、問題はその先。おれの頭の中。その布は、肝心な部分に必ず続いている。いわば肝心の末端。葉を見て木を想像する、海を眺めながら遠くアメリカを思う、そういうことである。(p.28)

人妻美和さんのローライズからチラ見えするパンツとその先に思いを馳せる部分です(笑)。何より目を引くのは、「海を眺めながら遠くアメリカを思う」という表現の壮大なばかばかしさですね。素人だとこれが書けたら悦に入ってしまうはずですが、広小路尚祈がプロなのはその壮大な喩えにいくまえに一つ、「葉を見て木を想像する」というワンクッションを入れているからです。三段跳びでいえば、布が見えている(ホップ)→葉を見て(ステップ)→海を眺め(ジャンプ)という跳躍をするうえで、ステップの部分があるからこそ最後のジャンプで遠くまで飛べる、そういう表現です。うまいなあ。最後の最後にある、「そういうことである」という言葉もきいていますね。「海を眺めながら」の壮大さ、馬鹿馬鹿しさに突っ込みがあるかもしれないのを制して、「そういうことである」と括ってしまえば読み手のほうも突っ込みの矛先を収め、「そういうことなのか」と強引に説得されてしまいます(笑)。

ここで取りあげたのは印象に残った比較的細かい部分ですが全体を通して、さりげないうまさみたいなものが漂う作品でした。他の作品も読みたくなるなあ。
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