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安岡章太郎「海辺の光景」

出典:安岡章太郎『海辺の光景』(角川書店・角川文庫・1979年)
評価:★★★★☆

第三の新人の作品は高校のときに一通り読んでみたくらいでさして印象にものこらず内容すら忘れたもののほうが多いですが久々に読んでみた『海辺の光景』(うみべ、じゃなくて「かいへん」とルビがついています)はなかなかよかった。作品と読者の出会いって早すぎたり遅すぎたりすることがあって、適当な時期に出会わないとあまり意味のないすれ違いに終わってしまうな、思ういい例でした。

東京で暮らす主人公の信太郎が、母キトクの知らせをうけて高知の精神病院に赴き、職業軍人だった父とともにその死までの九日間を過すという話です。単に死んでゆく母を看取る、いってしまえばそれだけの話なんですがこの話の背景にあるテーマは、いくらでも大きなテーマとして取りだせるものが盛りだくさん。父と子の葛藤であるとか、そこに母を交えた家族の崩壊であるとか、戦後社会で苦労する一家の物語とか、「恥ずかしい父」ものの系譜とかとか。

ただ、こういった大きなテーマをいくつも抱えながらも、江藤淳の『成熟と喪失』や、あるいは蓮實重彥による文庫版解説「真実と「軽症の狂者」」でも読んどけばよいのであえてそういうところは脇に置いとくとして、それでも一つひとつの端正な描写、比喩の使い方のさりげないうまさのほうに惹かれました。

太い指先につまみあげたシガレットを、とがった脣の先にくわえると、まるで窒息しそうな魚のように、エラ骨から喉仏までぐびぐびとうごかしながら、最初の一ぷくをひどく忙しげに吸い込むのだ。(p.17)

信太郎が心理的懸隔を感じている父・信吉の煙草をすう仕草を眺める場面。「窒息しそうな魚」という言い方じたいは平凡ですがそのあとの「エラ骨」というのは当然魚の鰓と人間の下顎つけねのでっぱりを重ねられるし、父に対する疎ましさ、遠さというのもこの仕草を描写する仕方から伝わってきますね。息の詰まる感じ、せせこましい感じ、人間に決して近くない魚に喩えること。

父に対する描写はこの「遠さ」の感覚をやはりにじませます。別の場面で、父が弁当を食べるところ。

まるでそれ(弁当を食べるしぐさ:引用者注)は機械が物を処理してゆく正確さと、ある種の家畜が自己の職務を遂行している忠実さとを見るようだ。(p.27)

比喩をふたつ重ねていますね。でもしつこくない。機械と家畜、つまりモノと生き物というある点からすれば正反対のものを並べながらも、その二つに共通する性質、ここでは自分の意思で行動していない主体性の欠如、なすがままもぬけのから状態、を、父を象徴する特徴として重ねあわせている。けっこうアクロバティックだけどもさりげなくやっちゃうところがすごいですね。

他にも学ぶべき表現はたくさんあります。テーマ批評についてはたくさんの評論家先生方がすでにやっているでしょうし、自分にびびっとこない限りはそっちを読めばすむ話なのではしょりますが、古い作品にはこういう表現がまだまだたくさん埋もれていて、その一つひとつを味わうだけでも価値がありますね。再読の効用をあらためて感じました。
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