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梅崎春生「桜島」

出典:梅崎春生『桜島・日の果て・幻化』(講談社・講談社文芸文庫・1989年)
評価:★★☆☆☆

ふるいやつ読もう第二弾。梅崎春生の「桜島」。出だしが有名ですよね。

七月初、坊津にいた。(p.51)


戦争がおわってすぐこの作品の執筆にとりかかったらしく、自分でも起こった出来事をどう総括してよいかわからないかんじでバーッと書き出したような印象をうけました。何か語らずにはおけない、けれどその書きたい気持ちに文章の技術がおいついていない感じ(笑)。その文章にやどる、ある種へたくそさは全体を通してみれば単にへたくそなんだけど、場面によっては著者の狙いはたぶんなかったろうけれどもコミカルな効果を与えているところがあって、部分部分ではヘタウマ感を味わえる作品となっています。

 軍人以外の人間には絶対に見られない、あの不気味なまなざしは何だろう。奥底に、マニヤックな光をたたえている。常人の眼ではない。変質者の瞳だ。最初に視線が合ったとき、背筋を走りぬけた戦慄は、あれが私の脅えの最初の徴候ではなかったか。私が思うこと、考えることを、だんだん知って来るに従って、吉良兵曹長は必ず私を憎むようになるに決っている。それは一年余りの私の軍隊生活で、学び取った貴重な私の直観だ。あの種類の眼の持主は、誤たず私の性格を見抜き、そして例外なく私を憎んだのだ。
「苦手!」
 私はそう口にだして呟いた。(pp.62-3)

帝大生の軍人嫌いといってしまえばそれまでかも知れませんが、世間での学歴と軍隊内の序列にギャップが生まれて、しかも先任の兵曹長が理不尽に新兵をいじめたおすだろうという予感にとらわれる場面。「苦手!」と一言叫ぶなんて現実にはないはずで──もっとリアリティだすなら、「嫌だ!」とか「ああああ!」とかでしょうか。苦手を単語でぽんと出しちゃうのは書き言葉です──そのありえない言葉あポンと出されるところが、ロシア文学(ただし翻訳もの)にありそうなセリフで、思わず吹き出しました(笑)ゴーゴリの喜劇ものとかイメージ。

読んでいて語り手の思考はシャープじゃないですが、それでも語り手の学歴の高さ、しかも一中→一高→東京帝大という生粋のエリートではなくて、地方出の頭が悪いがプライドは高いという傍流のエリート性をうかがわせるのは、上の引用部にみられる「私」「私」の連発、内面の思考をぐるぐるめぐらせること、考えることにこだわり続けること、コチコチの職業軍人を毛嫌いすること、文体からいえば前言撤回や訂正を過剰に連発することからよく分かります。

作品世界を通して作品世界の向こうを想像してみることもできます。本作では、吉良兵曹長が職業軍人の嫌な部分を体現する人物として造形されていますが、しかし嫌な部分は直接は描かれない。新兵いじめしているところも語り手が途中から介入して辞めさせますし、殴り合いになるところも語り手は直接見ていない。こうして目をそらしているのは語り手であると同時に、書き手である梅崎春生です。暴力やいじめを直接描けないほどに軍隊生活でよっぽどつらい経験をしたのか、しかし軍隊嫌いはそこここで表出するし、周囲の軍人たちには終始違和感を感じているし、吉良兵曹長に対してはこんな嫌な奴!という感じでそこここで嫌悪感の表明をしている。ちなみに吉良兵曹長は語り手に直接手を加えることはないですし、陰湿ないじめというのもここの描写の限りではありません、それにもかかわらず、職業軍人の嫌な奴ステレオタイプである吉良兵曹長への嫌悪は半端ない。

そういうごちゃごちゃした違和感を、しかしながら、整理できるほどのシャープさがないのが梅崎春生の限界であるとともに、それは裏返せばごっちゃになった感情の生々しさを余計な修辞なしにできるだけそのまま伝えることが、本作の「今だ自分で整理もついていない気持ちありのまま」に肉薄するよさになっているのだとも思います。

したがって、修辞的な効果を狙ったところは作為性が目だってあまりうまくない。この作品を書いた時点ではそれほど散文修行もしてないはずですよね。ただし、そのうまくなさが一周まわって笑いを誘ってしまうのは、著者の計算では絶対ないと思いますが、その天然の産物です。そういう怪我の功名の例が以下。時間があるときに雑談をしにいっていた偵察兵がグラマンの機銃にやられて死んだ場面。

 死体が僅かに身体をもたせかけた栗の木の、幹の中程に、今年初めてのつくつく法師が、地獄の使者のような不吉な韻律を響かせながら、静かに、執拗に鳴いていたのだ。(p.109)

地獄の使者のような韻律を響かせるつくつく法師(笑)。「こいつら軍人と俺とは違う」と日頃考えていたとはいえ、戦友の死を目の前にしてこういうレトリカルな、余裕すらのぞかせる語りをしちゃう意識は、この場面に立ち会っている「私」ではなくて、戦後これをかいている梅崎自身の冷静な、出来事と距離をとることのできた意識でしょうね。この大仰な表現に思わず笑いましたが、大藪春彦の『野獣死すべし』を思い出しました。

計算しつくされた冷たく美しい完全犯罪の夢が頭中にくすぶり始め、やがて積もりつもった彼の毒念はついにその吐け口を見いだし、次第にそれは確乎たる目的の型をなした。失った己れを見いだした邦彦は、絶望の淵から死と破壊をもたらすために、苦々しく蘇生したのだ。(p.28、『野獣死すべし』新潮文庫)

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