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藤野可織「かげ踏みあそび」

出典:『文學界』2010年12月
評価:★★★★☆

気づけば男性作家ばかり続いたので女性作家を。芥川賞の候補になった「いけにえ」で化けたなあと思った作家、藤野可織。この人に、「化ける」という言葉つかうと違う意味になりそうですが(笑)、とにかくぞっとさせる想像力を確かな描写で具体化できる素晴らしい作家さんじゃないでしょうか。日常生活も一皮めくればなにが潜んでいるかわからない、通りの裏、部屋の隅、クローゼットのなか、などなど。生活空間だけじゃなくて、そもそも人間も一皮めくればどんなものがつまっているのか、なにをおもっているのかわからないわけで、それをホラーなイメージとして描いてくれます。この作品「かげ踏みあそび」は一皮めくると赤いビーズ玉が溢れ出してくる。

長くない作品ですが、見せ方がしっかりしていて中盤の転調にいくまでにこっそりいくつも伏線を仕掛けています。赤いビーズ玉が出てくるまでに赤い丸の要素を、さりげなく、二回目読んだらなるほどーと気づく風に。サブリミナルに赤に注意するよう読者に刷り込んでおいて、中盤、鞠子の身体からビーズがじゃらじゃらじゃらじゃら溢れ出す場面は啞然とします。

あと特筆すべき点としては、幼さと境遇ゆえにかなにごとにも主体的にかかわることのできない智也の視点に近い語りを採用することで、要所要所の恐さが際立つということ。姉鞠子の言動も、その裏にどういう意図が潜んでいるのかあえて探ろうとしない智也なので、かえって読者には鞠子の不気味さが伝わります。また智也自身、再々目を固く閉じて耳も塞ごうとする現実逃避的な傾向がありますが、それでも伝わってくる音や振動を通じて、逆に視覚以外の部分が活性化して恐怖感を煽ると同時に、目をつぶっただけにかえって自分のなかで妄想が膨らんでこれまた恐怖を昂進させてしまう。そういったあたりの描き方も非常にうまいですね。智也、逃げてー!という気持ちで読んでしまった僕は、まさに次に何がおこるかうっすら予感しながらホラー映画を見ている観客さながらでした。しかも藤野可織は、そういった観客の予想もみとごな描写で裏切って別次元の世界につれてってくれる。

智也の妄想を最後に引用しておきます。

自分の腹めがけて仲間のカブトムシたちが降ってくる。声も立てずに腹や脚、角、あるいは背が迫ってきては積もっていく。それらはコーラそっくりの色艶に照り輝いている。それから、粉が降る。透明のような白いような、少し光るような光らないような、ばらばらかと思えばくっつきあって大きな塊で降るものもあり、彼はそれを舐めたいと思う。上に重なるカブトムシたちのせいで、彼のところにはわずかしか届かない。せっかく届いた数粒の砂糖も、彼の角や脚の付け根に落ちるばかりで、口には入らない。最後に、水が降る。さっき振りかけられた砂糖の一部が溶け込んだ、ほんの少しだけ甘い水だ。ずぶぬれになりながら、彼は舌を出して水を受ける。このようにカブトムシは甘いものが好きで甘いものをおもに食べているのだから、その体もおそらく甘いはずで、とすれば尚更コーラである。彼は今からコーラになる。水位は彼の背中を浸すくらいでとどまっており、背中に、すぐ下のカブトムシたちの溺れもがく感触がある。もうだめだなあ、と思う。だって、もうじきミキサーがまわる。ギューッという轟音とともに、なにもわからなくなる。炭酸の一粒一粒は、無数のカブトムシたちの最後の一呼吸だ。(p.68)

自分とカブトムシを想像の中で溶け込ませ、砂糖をふりかけて、ミキサーでグシャグシャに混ぜてしまう。細密に写実的に描写するとグロテスクそのもので吐き気を催しますが、ここでは子供の幼い空想というオブラートにつつんで、さらに使われる小道具が砂糖やコーラや炭酸といった甘さを象徴するものなのでこれもグロテスクさを中和しています。つくづくうまいなあ。また読みたい作品です。
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