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朝吹真理子「家路」

出典:『群像』2010年4月号
評価:★★★★☆

文間の広さ狭さを小説の技法として広めたのは井上ひさしでした。文間とは、簡単にいうと文と文との間にある意味的なつながりの広さ、狭さのこと。あまりに広すぎると支離滅裂になってしまいますし、あまりに狭すぎると似たようなことが延々と反復する暑苦しい文章になってしまう。その間合いの取り方は書き手によっても、また作品によっても当然異なりますが、この作品「家路」の文間は、全体的に広いですね。一文ごとに共通するモチーフを飛び石として文間の広さ狭さをうまくコントロールし、時間的な進み具合の速さ遅さ、場所や位相の違いを、伸縮自在につなげたり切り離したりしています。おみごと。

 ひとりの中年男性が寝そべっている。明け方降った雨で石のにおいが湖畔にはこばれ、湾曲した岸辺には城址がみえる。夏深く、芝生もそれらしい青さで茂り、浅瀬で水浴する少年少女らがしきりと馳せ回っている。新聞紙や蛍光色のビニールテープがパラソルの間を転がる。いたって幸福な、書き割りのような景色のなかで、男はたるみのでた腹部にオレンジ色のタオルケットをのせ、湖水のむこうに聳える山脈の起伏のひとつところに目をうつしていた。とりたててめずらしくもないその岩肌に、海底で隆起し始めた何億という昔の造山運動のすがたをかさねてみていると、目の前に何があるのか、しだいにわからなくなる。山の稜線、岸辺に転がる岩も、人間も、輪郭というのがながめるうちにわからなくなる。(p.30)

この作品の雰囲気が予告されているかのようなばっちりきまった冒頭の一段落です。男の話が始まるのかと思いきや(第一文)、気候と風景(第二文)、またもどって男の周りの情景(第三文、第四文)、そしてここからグイッとアクセルを踏んで、男の腹のたるみから山脈の隆起へ(第五文)→時間を数億年早回しして造山活動に思いはせて(第六文)、ここまでの文章の連なりをまとめて作品全体の基調低音をなす一文へ(ラスト)。

時間も場所もぽんぽん跳んで、輪郭がわからなくなりますが、一文一文をばらばらにならないようつなぎとめているのは、しりとりみたいに前の文と後の文に共通するイメージを一本の線としてしかけているからですね。一つ取りだすならば、「曲がる」イメージがあげられます:湾曲する岸辺、おなかのたるみ、山脈の起伏、造山活動。

また書き手が自分の表現そのものに没入してしまうことなく、一種冷めた理性でもって言葉をコントロールしていることは、「書き割りのような」とか「とりたててめずらしくもない」という評価語に見て取れます。書いているそばから書かれたことばを突き放す、嫌味にならない程度にこういう批評性がある小説は信頼できます。批評性が皆無の小説には吐気がします。

冒頭だけでもこれだけの技法がさりげなく織り込まれて読んでことばの流れに身を任せる、そのことが楽しい小説でした。実力のある書き手だと思います。『流跡』にしろ『きことわ』にしろこの「家路」にしろ、わりと小説をよく読む層に好まれそうな作風ですが、いちどわざとベタベタの恋愛小説でも書いてファンをたくさん獲得したあとにまた書きたいことを書けば爆発的に売れるんじゃないでしょうか(笑)。全然作風や嗜好はちがうとおもいますが、村上春樹的な。
(追記)
井上ひさし『自家製文章読本』(新潮社・新潮文庫・1987年)で確認したところ、文間の広さ狭さ、という言い方は井上ひさしはしていませんでした。正しくは、文間の深さ浅さ、という言い方です(同著p.85)。また、文間の定義もあり、「前の文と、次の文との、間のこと」。ただしこの定義ではただの文間の物理的な定義にすぎません。この冒頭の定義から更に進んで同著のなかでは、文間が深い/浅いとどういう効果があるのか、接続言の効果とはいかなるものか、という意味的な考察に入っていきます。興味のある方は同著5章をご参照ください。
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