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合原壮一郎「狭い庭」

出典:『文學界』2009年12月号
評価:★★☆☆☆

夢や狂気に憧れるというのは文学青年、サブカル女子なら一度は通る道のはず。熱が冷め、改めて自分が通った道を振り返ると赤面してしまうような経験という意味では、一種の通過儀礼といえるのかもしれません。今回取りあげる「狭い庭」もそのような、一時かぶれたもの、ぐらいの意味合いしか持たない作品です。あえてよかった場所をあげるとするなら、冒頭のですます調の夢日記が孕む不穏さ。62ページから63ページにかけての言葉のサラダ、くらい。

書き手の個人的なプロフィールを脇にどけておけばこの作品によって動かされるもの、得られるものは何もありません。書き手にとって目新しく思われる手法や表現は、単に書き手の無知を曝しているに過ぎません。脇にどけたプロフィールをもういちど戻して来れば、「年齢の割に」という限定つきでがんばってるなあ、ぐらいの感慨しか持ちません。

夢の語法や狂気の文法を探求する試みは一世紀前には既に登場しています。民話や説話、神話をたどればそれこそ腐るほどにありふれた語り口でもあります。この作品がまやかしなのは、ここで使われている語法はどれも読みやすすぎるということ。ブルトンの詩が、自動書記と標榜しつつも草稿には推敲の跡が発見されているのと同様、この作品で語られる夢の内容や狂気の言葉も、物珍しげでかつ否定的な意味でポエティックな語(戯れる、染まる)を散りばめて目くらましをしているにすぎず、その実、統語的な構造は極めて常人の語法に適ったものです。つまり夢の「ふりをしている」常人、狂気の「ふりをしている」常人、が通常の文法的規則に何ら違反しない言葉で、それっぽい「ふり」を見せているけの作品。極めてリーダブルで、書き手本人だけが悦に入っている作品は芋くさいだけで読むに耐えません。

と作品そのものの感想としては否定的な言葉しか思いつかなかったのですが、そうはいいつつやっぱり年齢的なものもあるのだろうなととここで作品以外の要素、書き手の年齢にも留意してしまいます。作者の合原壮一郎は92年生まれの人ということで、この作品が書きあがったのはおそらく17歳前後のこと。僕が17歳のときに、ブルトンのある種の読みやすさを見てとることができたかといえば決してそうではないし、ましてアルトーやロートレアモン、マラルメ、ランボーその他たくさんの言葉の実験のアーカイヴは自分のなかにはできていなかったはず。そういう自分の負い目みたいなものも勘案してみると、まあこれは一時期だれでも通る道だよね、という評価に落ち着いてしまいます。作品のみの評価なら星ひとつですが、年齢を考えればがんばったで賞ということで星二つ。合原壮一郎には、もっと作品の言葉を、狂気や夢すらをもコントロールできる作家になってほしいと、期待をこめて思います。
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