スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鹿島田真希「パーティーでシシカバブ」

出典:『文學界』2009年2月号
評価:★☆☆☆☆

21歳の女の子ミカが友人のユミから聞いたパーティーに、同じく友人のユイと、小説を書いているという男ボンクレーと参加してみるという話。とくに何が起こるわけでもなく、ただパーティーがあると聞いてそれに参加していろいろ見聞きしましたというだけの話が21歳の女の子の一人称視点で語られます。あまり深く考えていなさそうな女の子の思考ということで、単調な文末処理(~と思った、~と言った、~した)の過剰な連発も、とりとめのない表現が続くのも、まあこの語り手にしてはありなのだろうと我慢して読み進めました。我慢して、というのはあまりに何もおこらないし、あまりに語りも単調だしで、たんに面白くないからで、それでも我慢したのは、なにか仕掛けがあるに違いない、こういうくだらない言葉づかいにも何か意味があるに違いないと鹿島田真希という書き手を信頼してのことです。そしてそういう信頼を見事に裏切る言葉が最後に書かれてあったとき、一気に失望して、二度とこの書き手の本は読むものかと決意しました。

するとボンクレーが、突然なにを言い出すんだ、今までの話となんの脈絡もないじゃないか、と言った。だからわたしは、人間というものは、基本的に脈絡もないものなんですよ、と言った。そして自分で言ってみて、本当にそうだな、と思った。(p.176)

脈絡がないエピソードがただずらずら続くこの小説を、メタ的に言及している箇所です。日常起こっていること、日頃の行動や思考の一つ一つに、べつに脈絡なんてないというのは誰もが薄々は感じていることで、あえてこんなこと言われなくても分かっていることです。それをこの作品の作風の言い訳みたいにここで持ち出されては、たまりません。

もう一点、物事をあまり深く考えていなさそうな女子大生の一人称語りという点でも問題があります。単調で貧しい語彙による文末処理はまあ読む分にはくだらない退屈なものでそれはそれでいいとしても、統語レベルでみればきわめて整理された語順になっています。例えば一人称語りということでいえば、ウルフの一連の作品のように中断や黙説、飛躍を度々伴うものではないでしょうか? あるいは町田康の初期作品のようにぐるぐる自問自答を繰り返したり自己批判したり矛盾したりするものではないでしょうか? あるいは舞城王太郎の作品のようにいきいきしたオノマトペや言葉づかいで語られるものではないでしょうか? 残念ながらこの語り手の語りは中途半端に女子大生で中途半端に知的です。また、語彙レベルでみても、ときどきこの語り手にはそぐわない語彙が見受けられます(「婉曲(p.157)」「危惧(p.160)」「シャンソン(p.167)」ほかたくさん)。単語を取りあげて難詰するのは言葉狩りみたいで好きじゃないですがそれでも、語り手にそぐわない言葉づかいが多用されれば作品の語り自体がまったくリアリティをもたないことになってしまいます。こういったノイズが出てくるのは、語り手像をあまり突き詰めてないか、単に書き手がへたくそなのかのいずれかでしょうね。

この作品を読んだお前が勝手に鹿島田真希のことを「信頼」して読み進めて、勝手に「失望」しただけじゃないか、というご批判が聞こえてきそうです。事実その通りです。一方的に信頼して、一方的に裏切られたと怒って、単なる一読者の戯言です。だけどそんな独り言だとしても、一人の読者として裏切られた感はあるのでこの人の作品はしばらくは読みません。
スポンサーサイト

コメント

Secret

プロフィール

読む人

Author:読む人
小説の感想を、自分基準で。コメントはご自由にどうぞ。

★☆☆☆☆(面白くない)
~★★★★★(面白い)で評価。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。