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ドナルド・キーン/角地幸男(訳)「日本人の戦争──作家の日記を読む」

出典:『文學界』2009年2月号
評価:★★★☆☆
ドナルド・キーン



太平洋戦争を経験した日本人作家の日記を通して、戦中戦後の日本が経験した惨禍と変化を追ったドナルド・キーンの評論です。読むにあたって注意したいのは二点。2009年以降にこの日記を読む僕らはついつい、あの永井荷風だったり、あの伊藤整だったり、あの山田風太郎だったり、あの高見順だったり、あの吉田健一だったりを前提にして、様々の作品・評論を書き上げ生涯を全うした文学者の全体像を想定して、その全体像=結論から、キーンの評論に収められた個々の日記の記述を演繹してしまうかもしれないということ。本人たちは、その後読まれることになる作品を未だ書いていないし、作家として個人としての評価も定まっていません。それどころか作家ですらない一介の青年に過ぎない人物もまじっています。よって、この日記を書いた時点では「ふつうの人」だった彼らを、あの作風の萌芽がここにとか、あの性格がここにあるとか、特別視して読むことには慎重でないといけません。

ちなみに、主な収録作家のプロフィールをまとめると、
作家名/生年/1945年時点での年齢
伊藤整 1905年 40
高見順 1907年 38
永井荷風 1879年 66
山田風太郎 1922年 23
吉田健一 1912年 33

山田風太郎は戦前戦中は単なる医学生ですね。

二つ目に注意しておきたいことは、ここに収められた作家はキーンの独自の選択によるものです。どんな基準でこの作家たちが選ばれたのかよくわかりませんが、ここで紹介された日記だけから過度な一般化には慎重であるべきですね。日本の作家はこう考えていた、とか日本の知識人はこう考えていた、とかはいくらなんでも無茶です。歴史社会学風な仕事とは別物として扱ったほうがよさげ。

こういったところに注意しながら読んでいくと、なかなか面白い記録もたくさんあり読み物として楽しめました。たとえば高見順は、

戦争終結と知って、私はホッとした。これでもう恋愛小説はいけん、三角関係はいかん、姦通を書くことはまかりならぬ等々の圧制はなくなる、自由に書ける日がやがて来るだろう、全く「やり直し」だ、そう思ってホッとした。(p.76)

と書いて、検閲が無くなったことを作家として喜んでいます。この視点からすれば、戦後すぐ書かれた小説の、男女の恋愛や濡れ場なんかも、「やっとかける!」という解放感から書かれたものかもしれないですね。最近武田泰淳の『蝮のすえ』を読んで、男に翻弄される(ように見えてじつは男をもてあそんでるんじゃないかと僕は思う)女性が描かれていたのを思い出して、あそこで描かれてる男女関係も実は裏にこういう解放感があったのかもなと。第一次戦後派作家の、恋愛を描いている場面の見る目がちょっと変わりました。

まあこの時期のテクストに、何か新たな発見がいまさらあるとは思えません。驚くべき発見というのもこのキーンの評論にはありません。けれども、単純に戦中の体験を同時代のものとして、若者の憤りを感じられもするし、壮年者の恥ずかしさを感じられもするし、一片の小説にも匹敵する生き生きした記述の連続で楽しめます。

最近の書き手だと、柴崎友香「わたしがいなかった街で」(新潮社)で、海野十三の戦中日記引用していましたね。日記は小説と相性のいいテクストだと思うので、この当時の日記はいろいろ利用しがいがあるのだろうな。

最後に無いものねだりですが、ここに収録された日記は男性作家ばかり。女性作家の日記というのも残っていれば読んでみたいと思いました。野上弥生子(1885年生)、宮本百合子(1899年生)、林芙美子(1903年生)、円地文子(1905年生)などなど。日記は既にあるんだろうけど(ものぐさなので調べてません(笑))、ばらばらにそれぞれの日記を読むんでなくて、こういう形で一つのまとまった評論風読み物として読んでみたいなと思いました。
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