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中納直子「とつきとおか」

出典:『群像』2012年4月号
評価:★★☆☆☆

本作の工夫としてまず挙げられるのは、妊婦の腹の中にいる胎児視点を採用したこと。そこに母体となっているサチの視点が重ねられ、また別パートでは相手男性の河瀬の視点からも並行して物語が語られます。試みとしてはちょっと面白いものの、結果として胎児視点が説得的に描かれていないように思います。以下理由。

作品冒頭で「心の理論」について説明があります。簡単にいうと、「自分以外の心を想像して理解する能力」のこと。これができるようになるのは4歳から5歳以降のことだそうです。そこで作中の胎児視点に戻ると、胎児だから当然母親視点は想像できないはずなのにときに母体の視点を想像してるんですよね。ここにまずすごく納得いかない。

ぼくからはどんなものを作っているのかは見えないけれども、肉を炒めたりおにぎりを握ったりしているようだ。(p.133)

上のところなんて母親目線を想像しないと胎児には何が起こってるかわからないはずですよね。「肉を炒める」とか「おにぎりを握る」なんていう言葉を習得して駆使できるところも違和感ありますが、それを言ってしまうと小説としてのこの作品自体が成り立たないので、「これはこの作品の中ではこういうものなんだ」で強引に納得して読み進めましたが。けれど、サチが妊娠を河瀬に告げ、にもかかわらず河瀬がサチの体を求めてくる場面で胎児は次のように語ります。

ぼくはこの状況と、サチとこの男の会話に対する嫌悪で肌が粟立った。人間とはなんて業にまみれた生き物か。生まれないという考えは正解だったよ。ぼくも世に出たならこいつらの仲間入りをすることになってしまうのだ。(p.153)

この視点からは、かなり社会化された反応(二人の会話への嫌悪)や、人間を相対化して超越的な視点からみるような感想(人間とはなんて業にまみれた生き物か)、未来に対する仮定(世に出たなら…)すら読みとることができます。これだと、ほとんど生きている人間、それもある程度年齢のいった人の視点で事態を見ることができています。これも「そういう設定です!」と言われれば頷くしかない。

なのに、その一方で、ある言葉の使用を不自然に避けている。河瀬がこのあとサチと結局セックスをしてしまうわけですが、そこでは肝心の「セックス」とか「性交」とか、このこましゃくれた胎児のこれまでの語りからいえば当然使われていいだろう言葉は全く使われません。膣に挿入されるペニスに対しては「ひどく醜い肉塊(p.153)」なんていうレトリカルな言い方でぼやかすことすらしているにもかかわらず、です。

結局、この胎児の視点が無意識のうちに「セックス」や「性交」という言葉を避けてしまったのは、胎児の視点が作品世界のなかでしっかりと造形された視点ではなく、書き手か、あるいは一般人の視点となんら変わらない視点を胎児の視点に重ねているに過ぎないからだと思います。社会生活を送る中で性に関する事柄には、意図的に触れないか、触れるとしても遠回しな言い方(「ひどく醜い肉塊」という迂言法)をするでしょう。本作のもっとも重要であろう工夫の胎児視点ですが、以上のような理由から、そのリアリティ、独自性を出すことに完全に失敗しています。この視点は、胎児視点といいながら、その実、胎児のふりをするだけの、社会的に穏健な常識を身につけた極めて平凡な大人の視点となんら変わりありません。

細かい点では笑えるところもあったんですけど(黒部密のつくるひじき丼)、書き手の一番工夫したであろうところにすごく引っ掛かりを覚えてしまい、読み終えてもこの感想は変りませんでした。
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コメント

Secret

No title

作者が赤ん坊とミスリードさせるために仕組んだ罠かもしれない
実はさちの心の声、さちが演じるお腹の中の赤ん坊だったのかも

No title

だとするとサイコホラーテイストだったのでしょうかね、これ。
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★☆☆☆☆(面白くない)
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