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滝口悠生「わたしの小春日和」

出典:『新潮』2012年12月号
評価:★★☆☆☆

デビュー作「楽器」と似たようなテイストで、この作品も視点人物がバンバン切り替わります。人物が変わるだけじゃなくて時間も行ったり来たりして読む方としてはなかなか気が抜けません。何か大事件がおこるわけじゃない、職を失った「私」が職探しをはじめるところから語りがスタートして、別居生活にはいったり、中学の友人と再会したり、その間にも、ヤンキーの同級生や母やなんかに視点人物が移動していき、気がつくと時間は過ぎ去っていて…というなんとも要約しづらい、純文学らしい作品です。保坂和志と磯﨑憲一郎を足して二で割ったようなテイスト。

滝口悠生がどんな先行作品(や他ジャンルの作品)からインスピレーションをうけてこういう作風にいたったのか、デビュー作が掲載された新潮を引っぱりだして、インタビュー記事から名前を拾ってみると、保坂和志、岡田利規、市川真人、渡部直己、芳川泰久、佐々木敦、千葉文夫の名前が挙げられていました(登場順)。小説に批評的なスタンスをもちつつ創作にのぞんでいるのかもなあ、と安直に想像してしまいますがそれにしてはこの「わたしの小春日和」から、なにか批評的なきらめきを感じとれたかというと、うーんいまいち、という感じ。僕が読めてないだけかもしれませんが。

視点人物きりかえであれば、ウルフの作品だったり、語りも含めればヌーヴォー・ロマンの一連の作品だったりでだいぶラディカルに試みられてきた伝統がありますしそういうのに比べてこの作品に何か新しいところがあるかというと、あまり見当たらない。僕が読めてないだけかもしれませんが。

あとは、上に名前をあげた磯﨑憲一郎だと一行で時間が一気に数百年遡ったり、何の前触れもなく場所が中世ヨーロッパに飛んだり、その跳躍力に一種のふてぶてしい開き直りを感じられて心地いいのですが、それに比べてやはりこの作品でいうと、そういう振幅の幅も小ぶり感が否めません。

途中途中で面白そうなエピソードもはさまれて飽きないことは飽きないのだけれど、先行作品群と同列にこの作品をならべてみたときに、なにか足りないものがある感じ、この書き手独自のものが今一つない感じが、どうしても残ってしまいました。デビューしてまだ一年ほどだし、次の作品を読んでみればもっとはっきりするのかもしれませんね。

あと、英語が苦手なんでしょうか、ちょっと変なところが二か所ほどありました。

そういえば坂口は衝動的な、パフォーマティブな習性があり、中学の卒業式でも校長の祝辞の途中で突然ステージに上がって隠し持っていたリコーダーで君が代を吹きはじめ、強制退場させられたのだった。(p.62)

パフォーマティブという単語は普通、言語学のなかで「遂行的」という訳語があてられるような専門度の高い言葉です。上の箇所で書き手がいいたいことはこれとは違いますよね。大阪弁でいうところの、いちびり、ですね。編集か校閲かチェックは入らなかったのでしょうか、これ。

英語ならってるんだ。えーと、ホワッチャネーム?
マイネームイズ、ヨウヘイアンザイ。

主な語り手の「私」の母と、「私」の同級生の子供との会話で、この場面はコミカルな狙いがありそうなのでこれはこれでいいのかもですが、今はマイネームイズみたいないい方では教えられていないはずで、「I'm~」という受け答え方が一般的、かつ日常の使用にかなった答え方かと思います。次回作で頑張ってください(笑)
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