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中村文則「糸杉」

出典:『新潮』2013年1月号
評価:★★☆☆☆

ゴッホの《糸杉》に魅了された男がその絵がまとう狂気に魅かれるお話。仕事を失って失業保険が切れて、友人知人もいなさそうなこの男が一人称語りで、偶然自分の前を通りかかった女を尾行するようすを実況する。男の直観にびびっときた後ろ姿の女たちが、風俗嬢だ(しかも出勤前の)というのはかなり偶然度としては高くて、わざとらしいなと思えた。あとはゴッホ=狂気の作家、という図式自体かなり通俗なものであるし、この男の妄想も飛び抜けたところはなく、いってみれば電車の中で男性サラリーマンたちが妄想しているようなものの枠を超えていないし。

もちろん、最後のところで

初めからわかっている。その領域に行くには、僕はまだ孤独が足りない。糸杉は消えている。糸杉に類似した何かも。ぼくの内面は日常の枠を出ない。(p.150)

と言っているとおり、この男の独白じたい「日常的なもの」なのだ。結局読み終わってみれば、失業中のどこにでもいるような男が、通俗な絵をだしにして自分と狂気をむすびつけ、しかし日常的な妄想のなかでちょっとあそんでみましたよ、というしごく凡庸な話にしか着地していないので、これを読む僕としては何もおもしろくない(笑)。ありふれた男の、ありふれた妄想を読んだだけ、という感じ。

また、こういう変な(その実きわめて平凡な)男の妄想一人称語りだから、文章がヘンテコなのはかまわないといえばかまわないのだろうけど、いくらなんでも、断片的でへたくそだろうとも読みながら思った。狙ってこのへたくそな文章を書いているのなら分かるのだけど。無用なところで体言止め、倒置の連発、~だからという語尾で止めて一人合点、で読むほうとしては流れがとぎれとぎれになってしまってイライラしながら読み進めました。そしてその引っ掛かりが多い文章でつづられるのは結局平凡な男のひとり言というガッカリさ。

安部公房だったら、絵の中に入ったり、絵から何かが飛び出したり、追跡していた女が突然消失したり、気がつけば語り手も知らない土地に出ていたり、といくらでも妄想を膨らませていくのだろうけれど、そういうものを狙ったわけでもなさげなこの「糸杉」という作品。平凡な話をいかにも非凡ぶって語られることの苛立ちがふつふつ湧き上がってきただけでした。
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